2025年11月10日(月)
不思議な「神の時」
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「神のなさることは、すべて時にかなって
美しい」伝道3:11
「天の下では、何事にも定まった時期が
ある。
すべての営みには時がある」3:1
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主が、事を行なわれる「時」がある。
「神の時」
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Aさんが、ある重荷のある事態があり、
何とか方策を求めて、あちこちの方面
に、訪問し、聞き回り、動き回った。
しかし、幾ら動いても、どの方面からも
道が全く開かれなかった。
あらゆる窓口を訪ねても、全く開かれ
なかった。
どんなに動いても、だめだった。
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それが、数年を経て、突然、ある人の
一言で、その方面に動いて行くと、
スルスル、スルスルと、次々と、ひとり
でに、門が開いて行った。
一つから、次へと関連して行き、次々
と不思議なほどに、スムーズだった。
使徒 12:10
「彼らが、第一、第二の衛所を通り、
町に通じる鉄の門まで来ると、
門がひとりでに開いた。そこで、彼らは
外に出て・・」
みこころの時に、門は、ひとりでに開く。
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「神の時」を待つこと。
ひたすら待ち望むこと。
神の時に、必ず門は開く。
★★★★
Bさんが、ある時、遠方の実家に、とても
帰省したい思いが来た。
久し振りに、実家の親族に会いたくなった。
長い間、帰ってないし、顔を見せたら、親や
親族も喜んでくれるだろうと。
夫も賛成してくれ、具体的に日にちを段取り
しようとすると、突然のスケジュールが入る。
子どものことや、仕事のことや、自分の責任
の事で、次々急な事が入って来る。
どうしても身動き取れなくなり、これは環境が
閉ざされたと気づいた。今では無いのかなと。
主におゆだねした。
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しばらく時を経て、予定が特に無い日が続き、
今なら、環境的に可能と思えた。
しかし、不思議であったが、その時に、気持ち
が無かったのだった。
あれほど、帰省したく、状況も大丈夫なのに
気持ちが動かない。不思議だったが。
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そして尚も日が経過した後、環境が開かれ、
気持ちも与えられ、環境と思いが一致して、
帰省できた。
良い交わりを与えられ、素晴らしく豊かな
祝福にあずかれた。
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「神の時」を思わせられた(*^^*)
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