2025年10月11日(土)
  「気高いもの」

その誘いで、初めて、教会へ行った。

そこで、講師の先生が、笑顔で迎えて下さって、

「あなたも、今日、救われるかもしれませんね」
と言われ、

「救われる??」何のことか、全然わからなかった。


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講師の先生の子どもさんを、3才の時に交通事故
で亡した話をして下さった。

雨で、視界の悪い中の事故だった。
相手は同じ年頃の男性だった。

先生は「私はクリスチャンです。あなたを赦します」
と言ったと。

しかし、帰宅し、息子の物を見ると、涙が出る。
可愛い盛りだった。辛いばかり、悲しいばかりだった。

夫人は部屋にこもったまま、ずっと泣いていた。


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赦すと言ったのに、ふつふつと思いが湧く。

「雨さえ降っていなかったらなあ」「もうちょっと気をつけ
運転してくれていたらなあ」

どんどん苦しくなり、もう苦しくて、どうにもならなくなり、
主の御前に行き、すべて打ち明けて、助けを求めて
祈った。

その時、光のように

「七度まで、などとはわたしは言いません。七度
を七十倍するまでと言います」マタイ18:22

ペテロが、主に「何度まで赦すべきか、七度までか」と
問うた答えだった。

御言葉が臨み、包まれて、心が全き平安になり、
「わかりました。主よ」と。


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翌朝、すぐに相手の男性の家に行き、

「私を赦してください」と言った。

「私は、あなたを赦すと言いながら、心の奥では
責めて、憎み、さばいていました。私を赦して下さい」と。



相手は、もう驚いて、「これが、あなたの神なら、私も、
今、その神を信じます」と。

どちらも日系二世で、抱き合って泣いたと。

もう何十年も前のことだが、今も、ずっと親友で、家族
ぐるみの付き合いをしていますと。


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先生夫妻が、一人の子どもを亡くして、あんなにも苦しみ、
悲しみ、辛さの中に。

天の父が、たった独りの子どもイエス・キリストを十字架
で殺された、ことがよくわかった。


その日、生まれて初めて教会へ行って、初めて福音
を聞いた。

「今日、信じたい人は、その場に立って下さい」
と言われ、立った。

初めて聞いて、信じたいと思った。

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自分が、小さい頃から求めていたものと、合致した。

これを求めていたのだと、わかった。

自分の求めていたのは、何か「気高いもの」だったと
気づいた。

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イエス様に会うために、生まれた。

感謝!!!!(*^^*)