2025年05月01(木)
「弱さを認める幸い」
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以前、Aさんが、ホームページを開いていた。
様々な日常の出来事や、身の回りの事、自らの
思い、感じた事、身近な事柄を記していた。
その中で、神様に信頼して歩むことの平安、喜び、
感謝を綴っていた。
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心配や不安、思い煩いを、神様が担って下さること、
主のもとに、荷をおろして歩めることの幸い、
Aさんはそれが嬉しくて、喜びであった。
神様にゆだねながら、神様と共に、この世を歩ん
で行ける幸せを感謝していた。
喜び持って歩んでいた。
それを、ホームページに記していたら、
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すると、何と、大パッシングを受けた。
世の価値観からだった。
他に頼らず。自分の力で生きるべきだ。
頑張らないで、どうする。
皆、しんどい中、苦しい中、頑張っている。
他に頼るのは、弱い人間のすることだと。
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自分が弱い人間だから、それを認めて、神様に
頼って生きて、それが喜びであり平安であり、
幸せそうであることが、許せない。
自分が頑張って頑張って、荷が重くてしんどくて
苦しい。苦しくてたまらない。
それが、そのままで幸せで、喜びもって
生きている相手を見ると、怒りがわき、憎しみとなる。
自力で生きると、苦しくて辛い、だから、何もして
いないように見える人に、さばきになり、怒りとなる。
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しかし、主は、自らの弱さを認めて、主により頼むこと
を、非常に喜んで下さる。
“主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、
わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるから
である。」と言われたのです。
ですから、
私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ
大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。”
Uコリント 12:9
弱いまま、主のもとに行き、主が働いて下さる、
主によって生きて行けるとは、何と驚くべき
恵み!!
幸い!!祝福!!!
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