2002年02月19日(火)
  出て行こう。

1年前から、トールペイントを習い始めた。
記念すべき第一作目は多恵子先生の家の玄関を
華々しく?飾るウエルカムボードだった。
(今もあるだろうか?)
油絵や水彩は好きだが、トールペイントは、嫌いの
部類に入る。子供達もあの、アーリーアメリカン調
のブリブリは嫌いと言うが、私には近所の人付き合
いの接点がまるでない。
誘われるままに、多恵子先生にも相談し祈りながら
はじめたが、月に2回がしんどい。

引きこもり主婦と、自分で決めて家にジーといるほう
が、楽だしちっとも困らないので、ずっと礼拝と学び
会以外は家族としか話をしない事が多かった。
       
ある時、パソコンの前に座ってあるホームページを見
ていたら、
(抜粋)
「情報通信技術が発達したことによって、私たちが見失い
がちなものがあると感じる。
それは実体験というか、自ら経験することで心や体に刻み
つけられる外界との接触感、すなわち「リアルな記憶」だ。
メディアの無批判な垂れ流しによって、虚像の体験が増え
れば、その分、自らの存在は希薄になろう。
リアルな自己が希薄になると、他者の存在への気配りの心
もまた希薄になるのではないだろうか。
(中略)
誰とともに生き、誰とともに歩むのか――。
そして、私がこの場を立ち去った後、どのようになってい
くのか――。」

と言う記事があり心に刺さった。
同じ時期に、近所の婦人の心の病や、体の病、夜逃げに、
自殺…。とこの狭いわが住居周辺にも、いろんな出来事
があった事をトールペイントを通して知らされた。

家の中で「実を結ぶものになりますように。善き証人とな
れますように」と祈っていても、失際の触れあいを拒んで
いたら、虚しい。
同じクリスチャンとだけ、新しい人同士のとだけの交わり
は心地いいものだが、いったい何人のためにクリスチャン
として意味ある生きる方が出来るのだろう。
今のサークルを通して、どうか意味ある生き方へと導かれ
ますようにと祈っている。
by 富士子