2010年08月12日(木)
  「自我」

信仰を妨げて来るのが、いつも「自我」だとの話
になった。

Aさん「職場で、仕事が非常によくできる人がいて、
テキパキとスピーディで、ほんとに上手に仕事を
するんですよぉ。

自分は遅くて、速くする事が難しい。時間がかかる
んです。どうしても時間がかかって、何であんなに
速くできるんだろう。それも手抜きでなく、ちゃんと
できていて。感心する。

で、職場の人が、今日は○○さんがいるから、仕事
がスムーズに行くねと、何気なく言うんですが、その
言葉がなんか、自分で勝手にひっかかってしまって(笑)
何か落ち込んでしまう。

いつも同時に仕事をしているから、○○さんのして
いるところは見た事がなくて、どうやってやっておられる
んだろうと」

周囲「聞けばいいじゃん。教えてもらったら」

「そう!それなんですよ!(^_^;) それが聞けないのが
プライドで、自我なんですよねえ。聞きたくないんです。
今日、ここに自分の自我がある事が、よくわかりました」

Bさん「でも、よくわかる〜」

「目上の人にでも、注意されると、素直に聞けないんです。
へりくだって、受け取れないから、必ず同じ失敗を繰り返す。
聞けていない。
だから、前も言ったでしょう!と、更に注意される。自分
も更に心が固くなって、聞けない。これが自我なんですねえ。」

Cさん「ずうっと同じ事を繰り返していて、心配事が
目の前に来ると、どうしてもパニックなって、もう
不安でたまらない。
信じなくては、委ねなくてはと思うけれど、自分で
何とかしようとするのがわかる。
だから、もう恐れと不安と思い煩いのどつぼ。
でも、毎回、必ず良い結果へと導いて下さる。

それがわかっているのに、パニックになる。
これは自我だとわかる。信じようとしない自我。
信じることを選ばない自我。
自分の中に、物凄く頑なな自我があるのが
わかる。砕かれたいと思う。

必ず神様は良くして下さって、ああ、信じて
いればよかったのにと後悔する。
神様に申し訳ない。でも、この自我は自分で
どうしようもないから、砕いて貰いたいです」