2010年10月15日(金)
  「交わり」

Aさんと、Bさんと一緒に、主に在って祈りの時を
持っていた。

Aさんが、学びに出て来た御言葉関連で、自らの
辛い悲しい生い立ちを話してくれた。

自分にいて欲しくない人が、現に存在し、自分が
存在している事が、人に苦しみを与えている、
自分は生きていて、いいのだろうか。
生を拒否されるという深い深い悲しみに、遭遇した。

幼心の痛みがトラウマとなり、今も、そんな種類の
場面に出会すと、傷がうずいて、痛む。

まだまだ培われた根深いものがあるが、イエス様
に出会って、確かに少しづつ癒されている。
自分が変わって来ているのがわかる。

Aさんがそんな悲しく、辛い、苦しい生い立ちを話して
いたら、

Bさんが、今まで誰にも決して言えなかった、絶対
に話せなかった、天国まで持って行こうと思っていた、
事・・
でも、Aさんの話を聞いていて・・と、その事を話された。

「話せたことが、神様です。神様に感謝です。
水をぶどう酒に変えて下さった神様は、私の水の
ような今までの人生を、豊かな芳醇な甘いぶどう酒の
人生に変えて下さることを信じます」と。

その場におられる、その場を支配しておられる神様を
見た。神様のわざだ。

自分の通った悲しみや辛さ、苦しみは、すべて祝福とされて、
益とされて、誰かを生かして行く。誰かを解き放って行く。

Aさん「自分の苦しみと、どうにもならなかった悲しみ、
それが、Bさんに用いられたなら、こんなに嬉しい事は
ありません。神様に感謝です」


「次にBさんが、通られたその苦しみ、悲しみが、絶対に
誰かのためで、誰かを生かし、誰かを解き放って行きますよ」

水がぶどう酒に変えられる。

神様って、何て素晴らしいのだろう。
神様に在る交わりって、何て尊いのだろう。


「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの
慰めと救いのためです。

もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰め
のためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ
苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです」
Uコリント1:6