2002年03月09日(土)
  変えられる

集会で楽しく話していたら、

T婦人「私、どうしても、受け入れられない人がいる」

Y婦人「私ね、ある会の長をしてた。その中に、なぜ
か私を攻撃してくる人がいて、ずっといじめのような
状態だった。攻撃されて、攻撃されて、標的だった。
会合でも、長だから議案をまとめないといけないの
に、必ずその人が反対するから、まとまらない。

針のむしろにいるようで、悩んで悩んで、苦しんで、
心は裂けそうに痛いし、もうほんとに断崖絶壁だっ
た。
その時に、救いを求めて、若い頃少し触れていた聖書
を読んだ。もう苦しくて、救われたくて必死だった。
今思えば、心が叫んで求めたんだと思う。

聖書の色々な言葉がどんどん心に入って来た。
すると、自分の姿が見えて来た。

相手が攻撃してくる、相手が悪いとしか思えなか
ったが、自分も攻撃されると、心を固くし、相手の
言う事が受け入れられず、相手に心を閉ざしてい
る事に気づかされた。

聖書の言う通りにしようと思った。相手を受け入
れよう、相手に耳を傾けよう、相手の思いを受け
止めよう。

そのように実行した。すると、相手が一変した。
驚いた。攻撃が全く失せ、話し合いも一致の中で、
どんどん決議でき、和気あいあいの雰囲気になっ
た。その相手と良い関係が築かれた。

その時、聖書が真理だと確信した。聖書の言
う通りにすると、そのようになった。

いつも祈っている。いつも神様に心が向いてい
ないと、神様のみこころなど行う事ができない。
祈りがないと、出来ないことがわかる。祈って
いると助けられる。御言葉を行えるように助け
て下さる。
神様に出会えて、もう嬉しくて嬉しくて、感謝で
ならない。」

神様に、御言葉に従う時、自分が変えられる。

by 多恵子