2011年04月14日(木)
  「祈りながら、生きて行きたい」

「私も祈りながら生きて行きたいです」


Aさんのこの言葉が、心にぐっと共感、共鳴した。

Bさんのご高齢の親族が天に帰られた。

Aさん「皆さんだんだん、神様のもとへ旅立たれているの
ですね。私の親も高齢になって来ていて、救われて欲しい
です。神様の事を伝えられたらと思います」

年を取ると、親を見送ること、いずれ自分も同じような立場
になることが見えて来る。向き合うようになって来る。

「私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」ヨブ1:21

主に在る葬儀式に出ると、「地上では旅人であり、寄留者」
ヘブル11:13であることが、鮮明にされる。

葬儀後、Cさんも「この世は本当に短い借りの住まいなん
ですね」。実感となって迫る。

「彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めて
いることを示しています。

事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷に
あこがれていたのです」ヘブル11:16


では、どのように生きるべきか、が問われて来る。

実家は天であり、この世は、旅先のホテル住まい。

天を見据えて、神様を見据えて、この一日を、この瞬間を
生きて行けるように。

主と絶えず交わりながら、この地上に置ける歩みで、何が
主の御心であり、何が喜ばれることなのか、
絶えず「祈りながら生きて行きたい」。

丁度昨日も、Dさんも同じことを言われた。
死をも真剣に考えたほどの、悩み、苦しみの末に、教会に
導かれたDさん。

「今も状況は同じなんですが、感謝できるんです。
これ、すごい奇跡ですよね。私の心が変えられたんですね。
感謝です」

「昨日も、どう対処して良いかわからない事が起きて、
ああでも無い、こうでも無いと悶々とし、結局わからなくて、
どうにもできなかったんです。

ふと、後になって、あ!どうして祈らなかったんだろう、
その場で、祈れば良かったんだ!と気づきました(^^)」

「いや、気づけて感謝です。次、祈ればいいですよ(^^)」
「ほんとですね」

これまで、日常生活の難問も、祈った時に、目の前で
導かれて行く経験をしているDさん。

「私には、祈れることが、救いです。大きな救いなんです。
これからも、一つ一つ、祈って生きて行きたいです。
嬉しいことです」


祈りながら生きて行ける、何という幸せ。