2011年05月30日(月)
「自我」
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遠方より、友来たる。
とても楽しい交わりに祝福だった。
人生の紆余曲折を経たAさん。
「今、子供が神様に反発してるんよ」
「いい事よ。神様を認めてるから反発してる。
いろんな所、通ればいいよね(^^)」
Aさん「そうなんよ!今は、大きな目で見守れる。
自分の心も穏やかで平安。
もっと小さい時に、そうしてやれば良かったと。
出来なかったんだよねえ。結局、神様の愛は全く
伝えられずに、律法だけしか伝えられなかった。
子供に、神様を押しつけていただけだった。
それって、一見良い事に見えるだけに、気づかない、
わからないよねえ。
今はこうやって、こんなに心安らかに、平安に見守れるのに、
出来なかったんだよねえ」
「Aさんが変わったんだよ」
「そう!私、変わった。ほんとに変えられた。苦しいところ
や辛いところ通ったけれど、自分が変えられるために、
どうしても必要だったんだよね。
そうでないと、自分は絶対に変えられなかった」
「自我ってすごいよね。自分の自我の強烈さ、もう岩の
ように固くて、固くて、頑固で、もうその自我がグワーっと、
煩悶、悶々、自分がどこまでもあって、自分を通したくて、
正当化したくて、物凄い強い罪の性質」
「わかる、わかる。ほんとに自我は強烈、物凄いモンスター。
信仰生活って、それが砕かれて行く歴史だよね」
「痛くて、辛いけれど、自分で、自分が変えられているのが
わかるから、ほんとに感謝だよね。以前の自分とはっきり
違うもの。」
「正しい、良いことの中に、親のエゴが隠れていて、全く気
づかない。絶対見えないね。砕かれて初めて見えて来る。
それも、あれも親の自我だったんだと。正しいことを
していると思っているから見えない」
「下の子の方も、どうしてもしたい事があって、それも
以前の自分だと、絶対に阻止!とんでもない!
絶対に許さない。
でも、今は、子供が、自分がしたいなら、見守ってやろうと、
思える。自分で責任持てばよい。心は全く平安なんよ(^^)」
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