2011年06月19日(日)
  「苦しいが、感謝とされる」

Cさんが大きな試練を通った。

対人関係で、数年間、非常に辛い状況に陥った。
好きな事をしていた中での、苦しみであり、もう
余りの辛さに、その好きな事も止めてしまおうと、
何度も思った。

しかし、好きな事であり、その事自体は大きな慰
めと喜びを与えてくれた。

しかし、対人関係で辛く当たられると、しんどくて、
苦しくて、心は悶々状態だった。

一方的に攻撃され、嫌な思いをし、相手への
赦せない思いがふつふつと湧いて来る。
又、自分に何か悪い所があるのかと、自分を
責める思いが出る。

ずっと心苦しく、悶々状態であった。

その間、神様に祈り続けていた。その祈りが
あったからこそ、苦しい中も、止めないで来れた
と思う。忍耐与えて下さったと思う。

辛く苦しい悶々の日々、相手を裁いたり、
責める思いが来ると、平安が無くなる。

祈りの中で、結局は、それは相手に支配
される事になり、思いをストップすること
止めることを選択し、意志を向けた。

肉の思いを、ストップすることを選んだ。
すると、思いが消えた。悶々の思いが無く
なった。
神様のみわざを経験した。神様を実感し
感謝でならなかった。

そして、今、この辛い厳しい試練を通って
良かったと思えると。感謝していると。

今までそんなに大きな試練も無く、順調な中を
来て、周囲も良い人に恵まれていた。

初めて対人関係の苦しみに会い、ちょっとは
人の痛みがわかるようになった。

そして、人は人と、人の事が気にならなく
なった。

Dさんも、対人関係で苦しんだ。
個人攻撃されて、言ってもいない事を
言いふらされ、事情を知らない人には、変に
思われもした。

説明して歩くわけにも行かず、落ち込み、
悩んだが、御前に祈り続けた。
関係者と話し、解決に至った。

その試練を通して、人の事が気にならなく
なった。解放された。
人が気になって〃仕方がないのが自分の
弱さだった。
その所を神様が取り扱って下さって、自分を
変えるためであったと。
その事があって良かった、感謝でならないと。


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。
私はそれであなたのおきてを学びました」
詩編119:71


試練は、その時は苦しいが、後に、神様のみわざが
わかり、感謝と喜びに変えられる。