2011年11月15日(火)
  「静かにできない」

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは
救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがた
は力を得る」

「しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
いや、私たちは馬に乗って逃げよう
私たちは早馬に乗って」
イザヤ30:15

いつも、この後のほうをしていると、皆で語り合う。
静かに信頼することを望まず、自分で行動を起こす。
自分で動き回る。

静まって、神様を待ち望むことができない。
肉は、どこまでも動こうとする。
肉には、ものすごく強いものがある。強烈だ。
じっと信じていることができない。自分が動くほう
が楽なのだ。


何かが起きた時、即、何とかしなければと
まず、頭がぐるぐる回り、方策を巡らす。

そして、イエス様がぶっ飛んで、まずは自分で
動く。動き回った後に、いつも気づく。
そうではない、まず、神様に祈るということを。


Aさん「私は、いつも全く同じ、培われたパタン
がある。心配な事態が起こると、神様は全く
飛んで、即、ネガティブな「思い」が次々と起こり、
それはサタンと肉だと、わかるんだが、それを
選んでいる。
自分は「思い」です。思いに引きずり回されてる。

必ずそれが最悪のシナリオを描き、しっかり
完成する。最悪のシナリオが出来上がる。
そして、どつぼに落ち込む(笑)

同じ事を、繰り返している。これが自分の思考
パタンですよね。これを断ち切り、御言葉に立
たないと、成長が全く無い。
そこで止まっていて、前に進まない事がよく
わかる。

静かに主を待ち望むことをせず、肉の思いが
うわっ〜と、物凄い勢いで駆け巡り、それを止める
事をせず、肉のままに任せている。
ここが自分の問題です」


Bさん「私はすぐに口に出してしまう。言って
しまう。後で、後悔する。

子供にも、ああしろ、こうしろ、口うるさくなって
しまい、後で、あ、違った、間違ったとわかる。
主を待ち望んで、子供をじっと見守ることをせず
すぐ行動してしまう。

それは、子供のためでなく、親が自分の不安な
気持ちを解消したい、自分を安心させたいため。
エゴですよねえ。
だから、子供がムッとして、嫌な顔をし、何も伝わ
らない。

自分で動かず、神様を待ち望んで、子供を見守って
行きます!!(笑)」


Cさん「わかる。相手のためでなく、自分の不安を
解消させたいために言うから、ぐじぐじと愚痴、
小言みたいになる。

結局、相手への愛でなく、自分のための自我、
だから、御霊によらないから、実を結ぶことがない。
余計、関係が悪化して、双方不愉快な、嫌な気持
になる。

神様にまず自分の思いをすべて告げて、神様
のもとにおろして、委ねて、御霊に導かれて、
御霊に言葉を与えられて、対応して行くことが
みこころですねえ」