2002年04月03日(水)
備えられていたもの
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先日、愛子の卒業式に山口まで行って来ました。
クリスチャンとして送り出したつもりが、途中で
神様から離れてしまい、たびたび親子で壮絶バトルも
繰り返しましたが、4年の夏に本当につき物が落ちた
ように(何が付いとったんじゃろ。)
神様のところへ戻って来ました。
自分で神様を見つけるために必要な時間だったと今は
懐かしい思いもします。
卒業式の後、山口を出る前にみんなでお茶を飲んで帰
ろうと店を出たところで「愛ちゃん!」と呼ぶ声がしま
した。
声の方を振り返ると、にこにこ笑った若者達が車で近
づいて来ました。彼らは聖書研究会の人達で、山口で
神様が備えていて下さった姉妹、兄弟達でした。
この彼らのすがすがしい事といったら!まっすぐに私達
おじさんおばさんの目を見て来る。
つい今しがたまで、たくさんの卒業生やら後輩先輩いり
みだれての光景を見た後でしたから、クリスチャンは、
やっぱり違う!とおばさん感激。
そして彼らから花束をもらって送られる愛子の姿を見て
これは、神様が「祈りは聞いていたんだよ」と最後に私
に見せて下さった光景だと気づきました。
私達が気づきもしないうちに時も、環境もすべてを美し
く備えていて下さる神様に感謝します。
本当に、長い間一緒にお祈り下さった婦人学び会のみな
さん、個人的に祈って下さった青年会のみなさん、
ありがとうございました。
by富士子
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