2012年03月09日(金)
  「あるがまま受け入れられて」

遠方の主にある友から便りが届いた。

「遠い国からの良い消息は、疲れた人への
冷たい水のようだ」箴言25:25

の通り、友からの便りは嬉しい。

そのAさんの話ってくれた祝福が、とても印象深
かった。

彼女は生い立ちからか、軽い鬱を持っている。
交わり始めて、周期的に、そのしんどさ、辛さが
巡って来ることを知った。

何かしんどい事が起きると、現実に向き合うこと
から逃げてしまい、ベッドから出られなくなって
しまう。

ひどい自己嫌悪に陥ってしまい、どっと落ち込ん
でしまう。
波が引くように、しばらくすると、元に戻る。
過ぎ去ってしまう。

夜中の1時に大泣きで、電話がかかった事があった。
電話口で、言葉にもならず号泣だった。
自分が情けない。同じ事を繰り返していると。

“「よくなりたいか」イエスは彼に言われた。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい」
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて
歩き出した”ヨハネ5:6
その時、この御言葉が臨んで来た。


そんな彼女が海外で住むことに。
主の導きにより、敬虔なクリスチャン老ご夫妻と
居を共にして、働いた。

一つ屋根で暮らす日々であり、欠点も弱さも何も
かも裸だった。

「ベッドから出られない日々も、すぐ怒ってしまう
怒りっぽさも、イライラも、怠惰も、妬み深さも、
何もかもがあらわにさらけ出された。
一緒に生活すると、ごまかす事や隠す事が
不可能。
外で会う関係なら、ワンクッションあり、幾らでも
取り繕えるし、ガードができる。

でも、同居なら、隠しようがない。そのままが
出てしまう。

しかし、自分がどうであれ、丸ごとそのまま
受け入れてもらえた。
怒っても、怠惰になっても、イライラしていても、
いつも、あるがまま受け入れてもらった。

あるがまま受け入れてもらえて、自分が
変わった。

自分を責めて、罪意識にさいなまれ、自己
憐憫に陥り、思い通りにならない怒りや
暗かった心が、変えられた。

自分がほんとに明るくなった。心の芯に喜びが
来て、状況は同じなのに、神様にあって嬉しいと
思える。本当に感謝でいっぱい」

あるがまま、受け入れられる時、人は変わる
ことを、また見せられた(^^)