2012年06月05日(火) 「身を委ねて平安に」
Aさんが厳しい試練に遭遇した。 いろんな事情で、経済的苦境に立つ。これから どうすれば良いのか。 それだけ考えると、どっと思い煩いで胸がふさが れそうになる。あれやこれや考えると心労で一杯 になる。 状況も思うように動けず、心配ばかりが募る。 思い煩いが来ては祈り、不安が来ては祈り、御言葉 求めながら、厳しい状況が続いていた。 先も全く見えない。 そんな時、御言葉が心にぐっと入って来た。 “その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、 「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた”マルコ4:35 「向こう岸へ渡ろう」心に臨んだ時、そうだ、主は 向こう岸へ渡ろうと言われた。 弟子たちは、途中で命の危険も感じるほどの大嵐に 会ったが、主が、向こう岸へ渡ると言われたからには 何の問題もない。渡れる!! 向こう岸へ渡れるんだ!御言葉が心に臨み、 受け取った時、信仰が与えられた。 今からどうなるかまるでわからない、でもたとえ、大嵐が やって来ても、大丈夫、向こう岸へ必ず辿り着ける。 すると、心がすうっーと、楽になって、平安にされた。 「あんなに絶体絶命で苦しかったのに、そして状況は もっと深刻になっているのに、平安なんです。」 絶体絶命の限界状況の中で、初めて神様を頼り すがるんですね。 それまでは、自分で何とかしようと動き回るし、自分の 知恵に頼れば頼るほど、どっと思い煩うし、本当にどうにも 出来ない無力を知って、とことんどうにも出来ないから こそ、心が神様に頼った。 “わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、 またいのちです”ヨハネ6:63 御言葉に、身を委ねた時に、思い煩いが消えて 大海のような平安に満たされる。 Bさんも、厳しい試練が臨み、委ねることが御心で、 神様が委ねよと言っておられるのがわかる。 でも、委ねられない。どうしても委ねられない。 自分の宝、いのちであり、自分が握ってしまっていて、 自分が何とかしようとしていて、どうしても神様に 渡せない。 頭で委ねなければとわかるが、だめ。どうにも 出来ない。委ねられませんと祈り続けていたら、 もう底の底、どん底まで行って、委ねざるを 得ないようにされた。 というか、取って下さった。そこから事態が進み、 光が見えて来て、状況が導かれ行った。 すべて益にされたことが見えて来て、心から感謝できた。