2015年08月18日(火)
「変えられて行く」
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自分が変えられていることに、気づくと嬉しい
と、交わっていると。
「試練が来た時、絶対に神様の愛だと思え
なかったです。
ヘブル書に“懲らしめは愛”と出て来るが、
愛だなどと思えなかった。
“主はその愛する者を懲らしめ、受け入れる
すべての子に、むちを加えられるからである”
ヘブル12:6
でも、試練は痛くて、苦しくて、辛いばかりで、
これのどこが愛なのか、何で愛なのか全くわから
ない。
神様がいじわるにしか見えない、思えない。
神様に、思いきり反発していました。
あれから長い歳月を経て、今、懲らしめは愛
とやっと思えます。わかります。
自分が変えられたなあと、ほんとに感謝です。
以前と全然違います。
自分でへりくだることは出来ないから、神様
の砕きが感謝なのだと。
様々な取り扱いによって、へりくだらせて
下さるんだなあと。」
「私、最初の頃は、全然御言葉の意味が
わからなかったです。
教会に誘ってくれた友達が、横で御言葉
を聞いて、泣いてて、何で涙が出るのか
全く理解不能で。
私は自分の力で生きて行くことがすべて
と思っていました。
だから頑張って、頑張っているので、
しんどくて、しんどくて。でも、どこまでも
自分の力でやろうとする。
だから、御言葉を聞いても全くわからない
んですよね。
行き詰まった時、自分の力で、どうにもできない
事態に遭遇した時に、初めて“神様”が身近に
なって。
そこで、自分が変えられて。
そしてその後、大試練が来た時に、ほんとに
砕かれて、神様がわかりました。
呼べば答えて下さる神様、すぐそばにいて
下さる神様が、実感としてわかりました。
だから結局、行き詰まりや試練が感謝なんで
すよね。
それでないと、神様、わからないですね。
強い自我に妨げられて。」
“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。私はそれであなたのおきてを学びま
した”詩篇119:71
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