2015年12月14日(月) 「自分の思いが・・」
「ものすごく苦しい、もう何が何だかわからないほどの 大変な所を通ったんですが、その渦中では、苦しい ばかりだったんですが、 今は、通って良かったと思えるんです。 砕かれるためだったんだなあと。自分の思いが強く、 自分の力で、どうしてもやってしまう。 神様は、その所を砕かれたかったんだなあと。 時を経て、こう思えることも感謝です。 その時は、「神様何で?何で?」ばかりだったです。 もうわけがわからず、必死であがくばかりで。 根が自分で何とかしよう、ですからますます 神様が見えないですよね。 問題がモンスターになって、自分がしてるんですが、 もう押しつぶされんばかりで。 あって良かったと思えることが、自分の大きな変化 で、ほんとに感謝です」 礼拝メッセージでも、主はすべてを支配して おられる、主は主権者だから、私たちの身に起こる ことは、絶対的に!益となる!!! 無駄は一つもない、と。 自分の思いの方を捨てて、主の言葉を心に受け 入れて行く時、御言葉が信仰によって結びつけ られて行く。 “その聞いたみことばも、彼らには益になりません でした。みことばが、それを聞いた人たちに、 信仰によって、結びつけられなかったからです” ヘブル4:2 御言葉があっても、自分の思いの方を取って 行く時、御言葉を捨てていることになる。 「御言葉聞いた時、目に見える所はいつも逆。 “不可能は一つもない”と言われるのに、『そんな事 起こるはずがない』、『できるはずがない』との思いが 必ず来る。 問題を導く、必要を満たす、と言われるのに、 そんなことは無いと自分の思いが来て、いつも ずっと自分の思いの方を選択していたと気づかされる。 その事にも気づいていなかった。 だから、いつまでたっても神様がよくわからず、 同じ所をぐるぐる廻っていたんだと。」 御言葉聞く時、自分の思いが同時に来るから、 サタンが御言葉を取って行くから、祈ることですよね。