2016年03月19日(土)
  「主の山の上に備えあり」

孫が、海外宣教地から、親と共に一時帰国して来た。

幼稚園が、「親が海外から1週間の出張の間だけでも、
来ている子供さんもいます。少しの間でも来られたらいい
ですよ」と、親切に受け入れてもらえる園だ。

年長組になり、昨年帰国時に2日だけ出席させてもらった。
2日だけだったのに、海外にまで、是非卒園式にと
連絡をもらい、小学校入学式もあるので帰国の運びに。

卒園式前日に、孫は一日だけ平常保育に出席できた。
帰国がその前夜だったので。

それが園では、孫の不在中も、ずっと担任の先生が
孫のことを園児たちに伝えていて、孫が登園するや、
皆が走って迎えに出てくれ、大歓迎だ。
さながらアイドル(^_^;)

寂しくないように、孤立感のないようとの、園の行き届いた
配慮に、心温められる。
突然の参加なのに、居場所があり、式後も、ちょっと園庭で
写真撮りたくて、部屋に呼びに行くと、「大丈夫」と出て来ない。
「大丈夫」?? ん?!
そこに、いたいと思えるんだなあ。

年間ずっと海外だったので、卒園アルバムに写真も勿論
無い。平常の写真も勿論無い。
それが前日登園の写真がいっぱい撮られ、すぐプリント
されたのか、翌日沢山展示されていた。
行き届いた心遣いに心温められる。

式の最後に、担任の若い先生が、座っている20数名の
一人一人の子供に、ひざを折り、しゃがんで子供目線で
丁寧に「おめでとう」を。
十把一からげでなく、一人一人が大切に。

「自由に家族写真後、最後にもう一度皆で集まります」
の連絡。
何かと思うと、先生が最後、一人一人に、ぎゅっとハグを。
最後まで心温められた式だった。


式中、園長先生のお祝いの言葉が、

「失敗してもいいんだよ。全然大丈夫だよ。
いつでも、そこから学んで行けばいいんだよ。

なんで人が羨ましく妬ましくなるのかな?
人の持っているものが、いいなと、欲しくなるからだよね。
でも、人と同じでなくていいんだよ。

神様は、みんな一人一人違うように創られたから
人と違っていていいんだよ。

みんなが、人にはないものを、神様から与えられて
いるんだよ。それを大事にして行こうね。」

心に響いて来て、心があったかくなる。


2年前の上の孫の、卒園式も同じ園長先生の
祝辞を、今も覚えている。

「人の持っているおもちゃを貸して欲しい時は、
奪い取るんじゃなくて、どうしたらいいのかな。

園でずっと学んで来たよね。
『貸して下さい』と、お願いするんだよね。

それでもダメな時は?
もっとお願いするんだよね。『貸して下さい』と、お願いを
続けるんだよね」


保育方針が独自で、プログラムは用意されているが、
その子が、例えば粘土とか、お絵かきとか、熱中して
続けたければ、次のプログラムに来なくてもいい。
それを続けていてよい。
次に来たくなれば、来たらよい。
だいたい、皆がしている事が気になって、しばらく
すると来たりとか。

プログラムに子供を合わせるのでなくて、その子の選択
があり、その子の持っている内側が現れるなあと。


海外から、帰国の度に受け入れてもらった、理解ある
園が与えられたこと、神様のご配慮、備えに心からの
感謝だった。

いつも
“主の山の上には備えがある”創世記22:14