2016年04月15日(金)
  「知っています」

ある人が、神様に出会うまでは、お金がすべてとの
価値観で生きて来た。

親に絶えずそう言われて育ち、お金が人生を保障
してくれると信じていた。

そんな価値観を、神様はご存じで、ずっと何度も
何度も、繰り返し繰り返し取り扱われた。

経済的苦境を何度も通り、そのつど祈れば与えられた。
全く手元に無い中、必要があり、祈っているとと、引き
出しから忘れていた商品券が出て来て、必要与えられた。

ある時は、全く無い中、祈っていると、昔の貯金箱が
出て来て、必要が満たされた。

又、旅行の時は、チケット代が与えられたが、それ以外は
無くて、祈っていた。
おばあちゃん宅へ、スーツケースを借りに行くと、想定外の
沢山のお小遣いをもらい、必要が満たされた。

必要は、天から与えられる事を、数知れず経験して
来た。
与えらえると同時に、示されたら献げて来た。
それが献げると、また与えらえた。

それが今回、大きな必要が生じて、守りに入ってしまった。
不安が高じて、貯えるばかりで、献げることが出来なくなって
しまった。
原因は不安だからであり、主を信じることができていない
ことにあった。

献げることを止めた時、御霊の流れが止まってしまった。
喜びや平安は全く無くなってしまい、いつもイライラし、
不安と、思い煩い、恐れでいっぱいになってしまった。

そんな中、献げるよう示された。そしてその通りに従った。
すると喜びが戻って来た。
主に従って行きたい、御心行ってゆきたいと。

長い歳月ずっと金銭面で取り扱われ、今、神様が必要
を必ず与えて下さることを、信じてるのでなく、知っている。
自分は知っていることがわかったと、証しした。



その時に、ローマ8:28が浮かんだ。

“神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された
人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくだ
さることを、私たちは知っています”

自分も、今までの人生、神がすべてのことを働かせて
益として下さることを、信じているのでなく、
『知っている』と。