2016年05月10日(火)
  「この事があったから」

Aさん「対人関係で、ものすごく難しい相手が
います。
相手は自分が気に入らないんだと、わかります。

でも、こちらサイドとしては、何とか努力して、良い
関係を築こうとして来たのですが、相手のある
ことであり、ほんとに祈らされて来ました。

悲しかったり、恨んだり、辛かったりして来ました。
そんな中、一時的にですが、環境が変わり、状況的
に、少し親しく交わる機会が与えられたんです。

いつもと違う環境で、何とかくいい具合に交われて。
良い感じだったんです。
初めてと言っていいぐらい、良い感触があったんです。

関係が改善されたというか、良くなったと感じさせられて。
そして、しばらくして、また、環境的に元に戻りました。

でも、きっと関係は変化したと思い込んでました。
ところが、環境が元に戻ると、関係も元に戻って。

やはり、自分のことが気に入らないんだなと。
ほんとにもうショックで、ガックリして、へこみました。

でも、心静めて、祈ったり、神様と交わったりしていた
時に、自分の姿が照らされました。

鏡に照らされるように、自分も自我は、ものすごく固く、
同じものなんだと。
これほどの事が必要なほど、自分が固いのだと。
砕かれない者なのだと。

この対人関係が与えられていたから、自分は神様を
求め、救われたのだと。
もし、これが無かったら、神様求めていないし、救い
も無かったと。
そして、砕かれることも無かったです。

神様視点に立つ時、全然変わります。救いに導か
れたことに感謝で、感謝でならないです。」


皆が「そうやって受け取れるAさん、すごいよ」

Bさん「そのように、受け取れるAさん、へりくだれる
Aさんが羨ましいです」