2017年03月11日(土)
  「妨げているもの}

聖書の金持ちの役人の箇所のことを
話しながら、交わっていた。

あの役人は、お金が手放せなくて、握り締めて
イエス様のもとから去ってしまった。

彼は、隣人を愛しています、その御言葉を守って
いますと言ったので、主はそうではない事を、本当
の自分の姿を知らせ、救いに導こうとされた。

それで、彼にとってはお金が命だったので、そこに
切り込まれた。
そして、隣人を愛していないこと、愛しているなら
言われる前に、貧しい人々に施していたはずであり、
御言葉を守れていないことを、気づかせようとされた。

彼はお金を放せない事がわかり、しかし主より、お金
の方が大切だったので、命だったので、悲しんで、主
から去った。
主も、慈しんで彼を見ておられた。

太陽の前に10円玉を置くと、太陽が見えなくなる。
握り締めているものがあると、神様がなかなかよく
わからない。

握り締めているものを、自分の命となっているものを
捨てる事は、人間には出来ない。不可能だ。

しかし、神には出来る。自分には出来ないと認めて
主に助けを求める時に、そうできるよう助けて下さる。
主は、彼に、主に助けを求めて欲しかった。

“それは人にはできないことです。しかし、神はどん
なことでもできます”マタイ19:26


すると、
「ここの箇所を自分で読んで、やっぱりお金を
献げないと、ダメなんだとずっと思ってました!
そういう事だったんですね!
自分で読んでいたらわからんですねえ」

「私も、ここ読んで、お金を捨てないと、ついていけないん
だと思って、いやあ、無理だと思ってた!全然違うんですね」


一人一人、命となるもの、大切なもの、握っている
ものが違っていて、彼はお金だったので、そのように
導かれた。
自分は、何なんだろう?


Aさんが、「自分は長年、信仰生活をしているが、何か
神様と自分の間に、ヴェールがかかっていて、神様が
よくわからない。
自我が、手放せないものがあることを、そのものを示された。

もうあと何年生きるかもわからない。このままでいたくない。
絶対に、イエス様のもとを去るのは嫌だ。
神様と、もっともっと近く歩みたい。
同じクリスチャン人生なら、神様に献げて生きて行きたい。
祈って行きます」と。