2018年03月16日(金)
  「ゆだねられない」

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる」詩篇37:5


問題にぶち当たって、苦しくて苦しくてたまらない時、

主に委ねたらよいことが、頭でわかる。委ねるべきだと
わかる。

御言葉の通りに、委ねたら、主が目の前の問題を
導いて下さるし、解決を与えて下さる、成し遂げて
下さると、頭ではよくわかるのだが、

いかんせん、委ねることができない。これが問題だ。
いつも御言葉の学びでも、学んでいて、何をすべき
かがわかる。
目の前の問題を、自分自身を主に渡すこと、任せ
ること。
でも、出来ない。というか、自我が固く握って問題も
自分自身も決して放さない。

自分が放すと、物事がだめになってしまうと思える。
何もかもだめになるとしか思えない。
だから、放せない。自分がどこまでも握ってしまって
いる。

どうにも出来ない。

切羽詰まった、どうにも出来ない、瀬戸際の状況
が来た時に、もう放すも何も、委ねるも何も、どう
にもならない、そこまで来た時に、
初めて、明け渡せる。

自分ではなくて、神様のみわざ、神様がさせて
下さる奇跡だ。

「全然だめ。苦しい問題をずっと抱えていたが、
委ねることができない。頭ではわかるが、そうしようと
するが、自我が握りしめていて、できない。

だから、苦しくてたまらない。思い煩い、悶々状態。
だけど委ねない。出来ないでなく、しない。
強固な自我がある。

でも、もうどん底になった時に、もう心底何もどうしよう
も無くなった時に、気がつくと委ねていた。
神様が憐れんで、そうして下さったと思う。
問題が解決して行き、平安になった」


「幾ら頭でわかっていても、ずっと委ねられなかった。
自分の人生を自分が握り締めて、自分の思い通りに
したかった。

だから、試練が起きて、苦しみが臨むが、頭ではわかる
が、尚も委ねられない。

でも、ギリギリの瀬戸際の取り扱いが来て、自分でもう
何もどうしようも出来ない状況に陥って、初めて委ねる
ことができた。
奇跡だった。委ねた時に、心が平安で平安で満ちた。

あんなに苦しかった心に御霊の喜びが来て、驚いた」


委ねるって、人間にはできない。神のみわざ。

“それは人にはできないことです。しかし、神にはどんな
ことでもできます”マタイ19:26