2020年01月20日(月) 「神様に頼るということ」
「大きな試練があって、身体も壊して、病気にもなり、もう ガタガタでした。 でも、自分で何も、どうにも出来ないので、ただただ神様に 祈り、すがり続けていました。 状況も、身体も、自分で何一つコントロール不能で、ひたすら 祈るばかりでした。 今、感謝な事に、体調も回復し、事態も落ち着いて来ています。 すると、神様への頼り方が違うんですよね。 あんなに必死に、あがいて、すがり祈っていたのに、少し落ち着くと、 真剣さが違い、鈍くなる。 本当に肉はどこまでも強く、頑なだと思い知らされます。 逆に、いっさいの道が閉ざされ、自分で全く何もできず、何のすべ も無いところにまで、追いやられないと、神様に頼らないのだと。 自我の強さと、神様は、ご自身を求めさせるために、試練を 与えられることを、学ばせられました。 とてもしんどく、瀬戸際だったですが、神様にほんとに近かった です。 神様無しでは生きて行けないこと、祈りに答えられ、守られた こと知りました。 試練が去り、ふっと気が緩んでいると、サタンの猛攻撃が来ます。 思いの火矢が吹き込まれて来て。 自分は思いたくないのに、された事への赦せない思いや、怒り、 裁く思いが、吹き込まれて来ます。 サタンだとわかります。わかることは感謝です。 それで、祈って、祈って、祈りに持って行けることは感謝です。 すると、思いが消えるんですが、もうしょっ中、サタンは来ます。 ほんとに戦いですね。 神様が、絶えず、主に拠り頼むように、して下さってるんですね。 ぼや〜っとしている時、心が真空状態の時、サタンが来るって ほんとにその通りですね。 祈りや、御言葉や、賛美を心にいつも満たしておくことなんですね。 でも、試練は痛く、辛いけれども、神様に近づけられて、感謝です ほんと、追い込まれて、瀬戸際になって、なすすべ無くなるまで 神様に頼れないんだなあと、自我はどこまでも強いです。 試練による砕きは感謝です。」