2020年03月25日(水)
「圧倒された」
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ローマ8:28の「万事益」の学びをしていた。
その時に、もう30数年前のことが、鮮明に思い出された。
他教会のクリスチャン婦人Aさんのご実家が、丁度私たちの
教会のすぐ近くだった。
それで、まだAさんの親御さんがお元気な頃、大きな休みに
親御さんをみるために、帰省された時には、礼拝に来て下
さっていた。
いつもお世話のために、すぐに帰られていたが、ある時、少し
交わりの時間が与えられた。
ご家族の事とかをお聞きしていた時に、子供を交通事故で
亡くしたんですと話して下さった。
え!と、もう、びっくりして、大変だったですね、悲しかった
ですねと会話した。
どんなに、お辛かっただろうと。
「はい、その時は、もう悲しくて、悲しくて、どん底で、ずっと
泣いていました」
「でも、感謝なんです。本当に感謝なんです」と言われた。
「でも、子供が亡くなるなんて、どんなに悲しいか」と言うと、
「でも、ほんとに感謝なんです」との言葉に、更に驚き。
「悲しみのどん底で、最初は何も考えられず状態だったの
ですが、しばらくして、神様に、心の内も何もかも話して
祈っていたんです。
祈り続けていた時に、御言葉が与えられたんです。
“一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つの
ままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます”ヨハネ12:24
子供は、神様の一粒の麦なんだと。子供の死を通して、
豊かな実を結ぶのだと。
御言葉に支えられて、御言葉から光と希望と力が来て、
立ち上がれたんです。心が平安にされました。
“人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と
思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます”ピリピ4:6
まさにこの平安でした。
悲しみと辛さしかなかったのが、希望が臨み、信仰思って
神様を見上げることができるようにされました。
そんな時、事故の補償金が入って来たんです。
祈りに祈って、神様の栄光のために、子供が喜ぶことのために
用いたいと祈りました。
子供は、神様を信じていて、喜んで教会学校に通っていました。
それで、同じように救われる子供たちが起こされるように、そのために
用いて頂きたいとの志が与えられました。
それで、小さな集会所を建てました。牧師先生に来て頂いて、
近所の子供さんを集めて、そこで教会学校を始めました。
沢山の子供たちが来てくれて、救われて行きました。
そして、子供だけでなく、大人の集会も開かれるようになった
んです。大人の方々も救われて行きました。
もう感謝で、感謝で!!感謝しかないです。
子供も天で、子供たちも大人の方々も救われて、どんなにか
喜んでいることかと思います。感謝です。
「ほんとに感謝なんです。ただただ感謝なんです」と言われる時に、
この世の喜びでない、御霊の喜び、霊の喜びが与えられておられる
と、びんびんと伝わって来て、もう圧倒された。
“あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに
変わります”ヨハネ16;20
御霊の喜びが心に満ちる時、悲しみも苦しみも、勝利とされる。
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