2022年05月30日(月)
  「続・お母さんとのギクシャクが祝福に」

Bさんが、証ししてくれた。

小学校低学年の頃、お母さんはずっと仕事を
していて、とても疲れて帰っていた。

職場で、対人関係や仕事も、とても大変そうなのが、
子ども心にわかった。

しんどい事を抱えているようで、お母さんに話したい
ことがいっぱいあったが、飲み込んで、話せなかった。

本当は、いっぱい話をしたくて、話を聞いて欲しかった。
無意識ながら、ずっと我慢をし来たのだと思うと。

小さい頃から、いろんな面でも、ずっと我慢をし続けて
来たようだ。

お姉さんがいて、お姉さんは何でもうまく、良くできた。
自分は、なかなかうまく出来ないと思っていた。
だが、表向きは、特にどうということなく、普通に暮らしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、クリスチャンになってからの事だった。

ある時、別に普通の会話の中で、お母さんがお姉さんを
誉めた。

その時、なぜかわからないが、比較されていると思って
しまい、なぜかわからないが、昔からの積もり積もった
感情が、思いが、噴き出してしまった。

どうという事のない会話だったのに、爆発してしまった。
初めてのことだった。

お母さんに対して、小さい頃に、ああして欲しかった、
こうして欲しかった、あれが、これが嫌だった。
悲しかった、苦しかった、辛かった、溜まり溜まっていた
ものを、全部ぶつけてしまった。
自分でも、わけがわからないまま、吐き出してしまった。

その場は、そのまま別れたのだが、
帰宅して、冷静になると、何という証しに悪いことをして
しまったのかと。

お母さんにイエス様を知って欲しくて、祈っていた中、
とんでもないことになってしまった。

心から悔い改めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

Bさんから電話がかかり、今からお母さんに電話して
謝ろうと思うので、祈って下さいと。

電話の受話口で、心を合わせて一緒に祈った。
この事が益とされ、祝福とされるよう、主の栄光が
現れるよう。お母さんに主の証しとされるように。

電話が切れてから、ずっと祈っていた。

30分ほどして、電話がかかり、お母さんとすごく良い
交わりが与えられたと。

お母さんに謝って、小さい頃の気持ちを伝えると、
お母さんは、もう号泣で、そんなに辛い、悲しい思い
をさせていたなんて、全く何も知らなかった、気づか
なかった。

ごめんね、ごめんねと、わ〜わ〜大泣きで、
心が通い合えて、神様が働いて下さいました!と。

それから、ご両親で礼拝に来て下さったり、Bさんが
婦人会を家でと招いてくれた何回か、お母さんも
出席して下さった。

ほんとに万事益とされる、祝福とされる、大きな
祝福だった。