2003年12月29日(月)
正直であること
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今年最後の青年会で、「祈りについて」の学びの中で、
確信を持って祈るためには、正直に祈ることを学んだ。
建前の祈りは聞かれていないし、本当の気持ちを表し
ていない祈りも聞かれていない。それは偽りだから。
神様は常に現実を直視される。現実に起こっている事
に何も触れず、観念的な抽象的な綺麗事の祈りは、全
く神様に届いていない。
ありのままの私を受け止めて下さる、どこにもいない
唯一のお方。ありのままの気持ちを、受け止めて下さる。
誰にも言えない本音を、しっかりと受け止めて下さる方。
本音を自分の心の奥にしまったまま、神様の前に出てい
ても、結局、神様に何も触れる事が出来ない。
自分の奥底を閉じたまま、神様とひとつにはなれない。
友人が対人関係でひどく辛い目に会って、心が壊れかけ
るところまで行った。神様がわからなくなり、祈りもで
きなくなり、御言葉が全く心に響かず、入らなくなった。
そんな状態が続いた中、ある出来事が起こり、もう心が
限界超えて、プッツン、切れてしまった。
「もういい」と思えた。その時、神様への恨みつらみ、
怒りが心の底から湧いて出て、神様に向かって言った。
「あんたのせいよ」「あんたが私の人生を滅茶苦茶にした」
その時突然、神様から即、返事があった。打てば響くように、
答えが来た。心が癒された。それから、御言葉が新しくどん
どん心に入って来た。
そして、自分が神様に心をしっかり閉じていたとわかった。
今まで我慢して、我慢して生きて来た。本当の心を押し殺
して我慢して。本当の自分を神様にぶつけた時に、癒され
た。本音を受け止めて下さるお方。本音でなければ、触れ
られない神様。
何という愛、その愛の深さ、大きさを新たに知った。
Bちゃんが「自分は対人関係で嫌や気持ちになる時、今ま
でただただずっと我慢していた。でも、正直に祈る事を学
んで、そのつどの気持ちを全部神様に言うことにした。
「今、腹立つ、何でこんな事言われないといけないのか」
「あの態度に、今、ムカッっと来てます」・・
すると、我慢している時は、表に出さないから、自分は良
い人だと皆から言われるし、自分でもそう思っていた。
心の状態を全部神様に言って行く時、自分は、何てひどい
醜い罪人なんだろう。良い人のよの字も無いことがわか
った。偽りと欺瞞から守られることがわかった。
我慢して、自分を押し殺していると、本当の自分が底に
あるが、自分でもその本当の自分がわからなくなる。
見えなくなる。クリスチャン生活って、我慢することと
勘違いしたりする。
友人のHさんが言った。「我慢」の「我」は「自我」の「我」、
「慢」は「高慢」の「慢」。我慢でなく、神様に頼ること
を教えられますと。
正直に自分を出して良いと言われる神様は、何というお方。
by 多恵子
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