2024年04月14日(日)
  「病の方々」

今までm色々な親しい方々を、癌で見送った。
また、癌が完治し、現在、元気に生活しておられる
方々も沢山おられる。

人は病気やけがで死ぬのではなく、使命を終えた
から、主がみもとに呼んで下さると、言われている。

人間的に見ると、まだまだ若くて、一見、志半ばに見え
てしまうが、神様視点は違うようだ。

・・・・・・・・・・・・

去年、見送ったAさんは、「この癌は、神様から与えられ
たもの」と信仰に立っていて、更に献げて行きたいと、
神様を求め続けていた。

Aさんは、その少し前に、親友のBさんをやはり癌で見送
っていて、天国で会えるねと楽しみにしていた。

Aさんは癌でどうなるかはわからにが、死ぬことは主の
みもとと、常に希望があり、平安そうで、よく電話で
何時間も話した。

生計のために、癌闘病の中も、働いていた。時間的
に、労力的に、体調に見合うよう過不足なく、主が仕事を
与えて下さった。
全面的に主に頼る生活だった。

そんな中、体調が悪化し、そのまま切に慕い求めた主
のもとに召されて行った。

昼も夜も働きに働いて、苦労に苦労を重ねたAさん、
神様が「もういいよ。もう休んだらいいよ」と
真の休みを下さったと、思った。

・・・・・・・・・・・・・

Cさんも、癌で主のみもとへ行かれた。
私が学生で、初めて教会へ行った時におられた婦人
だった。
母親と同じような年齢で、教会のお母さんのようだった。

何もわからない時から、本当に良くして下さった。
若い人の集まりで、一番の年長で、何くれとなくお世話
下さった。

集会所は、水道光熱の設備無く、いつもお湯ポット、
茶碗持参で、集会後、お茶とお菓子を用意して下さり、
和やかな、和気あいあいの、楽しい交わりの時が与え
られた。

夏休みに、子どもたちのために、夏季学校を3日間ほど
持っていた。
聖書のお話をし、工作やゲームや公園での遊びやら
楽しい時を持った。

その時に、朝からお昼過ぎまでプログラムが終わると、
おうちがすぐ近くで、家に招き、昼食を用意して下さっていた。

恐縮すると、自分は教会学校が出来ないから、この事
で神様に、ご奉仕したいからと。

神様への愛、奉仕者への愛を感じ、心から感謝した。