2004年04月26日(月)
  自分を誇りたい肉

祈りについて話していた。
子供が小さい頃、登校前に、バタバタバタバタ
持ち物を捜し回る。時間が迫り、焦り、追い込
まれると、神様!!と助けを求める。もう必死で、
祈る。
すると、いつも捜し物が出て来る。それが必ず
出て来るのだ。教会学校で新聞を作った時、
「イエス様は君にとってどんな人?」との質問
に、「無くなった物を見つけてくれる人」と答
えていた。

神様は、すべてをしてしまった最後の手段が祈
りでなく、まず最初に祈れと言われる。「わた
しを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答
え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる
事をあなたに告げよう」と。

判断する前に、事を起こす前に、始める前に、
まず祈れと言われる。

A婦人「あ!同じ!いつも後です。全部自分で
やってしまってから、どうにも出来ないと、神
様!と、初めて祈る」

Bさん「私もだ。私はもう知ってます。十分わ
かってますから、今まで学んだ事を生かして、
自分でしますから、と言ってる。(笑)頼って
ないです。だからね、ずうっと失敗する。自分
でこれが良いと思ってやると、つまずいて、散
々な結果になる。
何度も繰り返してて、これって、繰り返し教え
て下さってるんですよね。まあ懲りないんです
よ。(笑)」

Cさん「私は大きな事は頼るが、小さな事ぐら
いで神様の手を煩わしてはならんと思い、自分
でやるんですよ。これって、高慢ですよねえ。
幼子のごとく、常に神様に頼ることを喜ばれる
んですよねえ」

自分の力を誇りたくて、人にも認めてもらいた
いが、まず自分が自分を認めたい。だから、自
分の力でやるんですよねえ。

新しい性質と古い性質があって、古い性質、肉
は最後まで変わらない。自分を誇りたい、評価
されたい、認められたい。でも、それを拒否し
ないで、選んで行くと、古い性質をどんどん成
長させて行くことになる。

“もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死
ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだ
の行ないを殺すなら、あなたがたは生きるので
す”ローマ8:13

自分が自分の力を誇りたい、認められたい、そ
ういう者である事を、神様の前にまず認めて、
神様に拠り頼んで行く時、助けて下さる。

by 多恵子