2004年06月23日(水)
  働いて来るサタン

学びの中で、サタンについて語り合った。

A子ちゃん「私、今思えば、よくわかるんですが、サタンに
用いられていた。(笑)
救われていたが、学生時代、神様から全く離れていた時期
があって、帰省してきた時、家族が喜んで、神様のこと、
その恵みや感謝を話していたら、無性にイラつくんです。
面白くないんです。心がトゲトゲしくなって、その場を
壊してました。

それが、普通の雑談だったら何も感じないんですよ。楽し
く一緒にわいわいやってて。霊的な話、神様の話になった
途端、心がざわついて来て、反発心で一杯になる。
それが、別に私に話してるんじゃなくて、家族間で話して
るだけでも腹が立って、むかつく。これ、サタンだったん
だなあと」


わかる。私もそうだった。神様から心が離れて生活してい
る時って、クリスチャンの親友と、雑談なら幾らでもでき
るのに、祈ろうとかになると、何か心に反発するものが出
て来る。祈りが嫌なのだ。
その親友が嫌なのではなく、霊的なものへの心のざわつき。
しかし、祈ったら祈ったで、又、平安が戻ったり。サタン
が巧みに働いていたのがわかる。

その前に、ヨハネ15:18,19から、サタンがいかに
クリスチャンを憎んでいるかを学んだ。凄まじい憎悪だ。

“この世のものであったら、世は自分のものを愛したでし
ょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえって
わたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで、
世はあなたがたを憎むのです”

サタンの所有であった私達を、神が救い出し、神の所有と
された。今は神のものだ。サタンにすれば、痛切な裏切り
であり、その憎悪を私達に向けている。

信仰ゆえの迫害を通して、サタンの憎悪を見る。様々な人
々の体験に、人ではなく、背後にいるサタンであることを
もろに感じる。

又、信仰生活で、みこころを確信して歩もうとする時、妨
害が入る。サタンは私達の心の中を、すべて見通している
ので、その不安も、思い煩いも、弱さを何もかも知ってい
る。それゆえ、的確な誘惑と攻撃が来る。
余りにも的確で、誘惑に屈してしまう。エデンの園で、エ
バに「神は、ほんとうに言われたのですか」と投げかけた
誘惑だ。
みこころだと受け止めたが、一抹の恐れと疑い、不安があ
る、その隙を突いて来る。

そして、その誘惑に乗って行くと、「決して・・ません」、
それは思い違いだと、正反対の不信仰を断定して来る。

内側の恐れと不安をことごとく知っている。サタンだと
わかると、逆手にそれを確信のために用いる事ができる。
それほどまでに妨害して、確信を取り去りたいという事
は、まさに神のみこころである証拠で、「神様、確信し
ます!」と、その度に、深めて行けばよい。
by 多恵子