2005年11月23日(水)
  「忍耐と我慢」

Aさん「私のはねえ、忍耐でなくて、我慢なんですよお。
子供に、もう〜うじうじと。もっとああせい、こうせい
と言わないんですよ、口には出さないけれど、
ずうっと心の中で、思ってる。」

Bさん「忍耐と我慢は違うんじゃ?」

Aさん「忍耐とは、神様が良くしてくださると、前向
きに、信じて行くことじゃないですか。

そうじゃなくて、ひたすら心に鬱積させて、我慢し
ている。我慢だから、積もりに積もると、許容量
オーバーになると爆発する。

この間も、たまりにたまっていたものが大爆発。
ああ〜、もう子供にめちゃくちゃ言うんですよ。

神様に導かれて、御霊の実の「忍耐」が与えられ
ますように、です。」

Cさん「あるよ、ある、ある。つい、要らん言葉、
余計な言葉が出る。いい事なんにもない。
子供を損なって行きますよねえ。」

前に、Hさんが「我慢は、自我の『我』と自慢の『慢』
で、身体の痛みをじいっと歯を食いしばって、我慢
していた時、これは違う、これは神様から離れている。

全然、神様に頼っていないで、自分でしていると気づ
いたと。我慢するんじゃなくて、イエス様に頼って頼
って、拠り頼んで行くのだと。

自分で自分のもとに溜めるじゃなくて、神様を呼んで、
神様に現状をぶつけて、丸ごと頼って行くんだよね。
by 多恵子