2006年01月22日(日)
  「不思議な神の働き」

救われた時の経緯も不思議だった。

高校生の時、クリスチャンの同級生がいて、とても
話しやすくて、よく話をした。
当時、クラスで面白がって、くじで席替えを、それも
毎週していた。教科の先生達が名前を覚えられずに
困ってた。

それが不思議な事に、席替えのたびに、そのクリス
チャンの彼女と必ず前後、左右になった。

「え!また、一緒だ!」「え!また!」ほんとに驚いた。
「わあ嬉しいー!また、お話できるね」毎週言っていた。
それで、よく交われて、いろんな事を語り合った。

“くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定
は、主から来る”箴言16:33

ほんとに背後に神様のみわざ、導きだった。彼女と
近づけて下さった。聖書を貸してくれて、初めて聖書
を読んだ。山上の垂訓に来た時、心に響いて来たの
を覚えている。自分の敵を愛し、迫害する者のために
祈りなさいのような。格言みたいに取っていたが。

10クラスあって、クラス替えがあったのに、翌年も
不思議に彼女と同じクラスだった。

そして、その冬、特別伝道集会に誘われて、初めて教会
へ足を踏み入れた。少し早めに着いたら、その日の講師
の先生に紹介された。歓迎して下さって、その先生が
「あなた、今晩救われるかも知れませんね」と言われた。

「救われる」って、意味がわからず、不思議な違和感だった
けれど・・。

集会が始まり、聖歌が賛美された。今まで聞いたどの歌
とも違う、何かきよくて、且つ力強かった。印象的だった。

メッセージが始まり、その講師の先生が一人息子を交通
事故で亡くされた話をされた。もう涙、涙の日々で、相手は
酒気帯び運転で、雨で見えにくかった。
自分はクリスチャンだから許しますと言ったが、辛くて悲しく
て、つい雨で無かったら、注意運転してくれていたらと、
相手を責める思いが出て来る。

その思いに苦しくて、どうしようもなく、ある日主の前に出て
心を全部打ち明け、祈った。
その時「七度を七十倍するまで赦しなさい」と光のように
心に入り、赦すだけでなく、愛しなさいと語られた。
涙が溢れて、悔い改め、翌朝一番に、その相手の家に
行った。そして「私を赦して下さい」と謝った。「あなたを赦
すと言いながら、心では憎んでいた」と。
相手はもうびっくりして、「これがあなたの信じている神様
なら、私も信じたい」と、その場で相手が救われた。」

その証しをされて、父なる神は、たった一人の子供である
イエス・キリストを十字架につけた。
子供が亡くなるとは、こんなにも辛くて苦しくて悲しい。
それを御父は、して下さった。あなたの罪を赦すために。
それほどにあなたを愛されたと。

このメッセージが、本当にわかった。御父の痛み、愛を
知った。初めて聞いた福音が、素直に入って来た。
信じたいと思い、その日、信じたい人はその場に立って
下さいと招かれた時、立った。

放蕩息子の小冊子を貰って、帰った。夜一人になった
時に読んだ。そのメッセージが心にどんどん入り、自分
が放蕩息子で、父の愛がわかり、迫り、涙が溢れて溢
れて仕方が無かった。

かなり後で、その夜の事を思い出して、あの日、本当に
救われたんだと思った。

by 多恵子