2006年09月24日(日)
  「心のうちにあるもの」

Bさんが昨年ほとんど1年間、厳しい試練を
通られた。
余りに辛く苦しくて、もういつもいっぱい、
いっぱいで、教会に来ては苦しさを吐露され
ていた。
苦しいばかりで、その感情が先立ってしまっ
て、なかなか御言葉も入らない時期もあり、
ただただお聞きしていた。

苦悩のお顔をされて、心底しんどそうで、本
当にお身体に障るのではないかと、心配する
ほどだった。祈ったり、御言葉を一緒に読ん
だりするが、もうギリギリの辛い日々を通ら
れた。

しかし、耐えられない試練はなく、時期が来
て、その試練も終わった。
そして、その試練の後、神様は特別な祝福を
送って下さって、今はもう喜びと楽しみのみ
というほどの日々を与えられておられる。

もう昨年から見ると、別人のように安堵し、
平安の中におられる。試練の後なので、その
喜びもひとしおだ。
試練がなければ、恵みが当たり前、当然でしか
無かったが、当然ではなく、神様からの素晴ら
しい愛顧であり、プレゼントであるとわかるか
ら、苦しみも本当に感謝だ。

そして、今、昨年は感謝でしたと言われる。
あの時は苦しいばかり、辛いだけだったが、
振り返ると、自分の内側が照らされ、自分の
心を知らされましたと。
自分の心がどんなものかわかりましたと。
あの苦しみは良かったと言われる。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいも
のではなく、かえって悲しく思われるものです
が、後になると・・平安な義の実を結ばせます」
ヘブル12:11

まさにこの通りだ。「後になると」で、その時
は悲しいばかりだが、後になると、必ず実を結
ぶとは、ほんとにどんな時にも希望がある。

自分自身も周囲の兄弟姉妹達も、様々試練が来
るが、それらによって、内側を照らし出し、心
をあらわにされる。本当の自分を知らされるた
めだ。

試練とは、自分の心の内に、向き合わされる訓
練だ。

「あなたを苦しめて、あなたを試み・・あなたの
心のうちにあるものを知るため」申命8:2

試練は痛くて辛いが、やっぱり祝福の実を結ぶ。