2001年09月25日(火)
  「光の中に」


 もし私たちが、神と交わりがあると言っ
ていながら、しかもやみの中を歩んでいる
なら、私たちには偽りを言っているのであ
って、真理を行ってはいません。
      Tヨハネ1:6

先日の婦人学び会で「やみの中を歩む」と
は、どういう事かについて学んだ。
本当の自分の姿を見失ってしまった人をや
みの中を歩んでいる人だという。
自分の生活の中で好い人を演じる、お行儀
のよいクリスチャンをやっているうちに、
自分自身を欺いてしまい、とうとう
自分にはなんの問題もない、そのうち罪ま
でないと思いこむ事があると学んだ。本当
に愚かで恐ろしい。つい最近
教会の20周年記念誌で岩国の姉妹たちの話
しを読んだばかりだったので、しきりに
姉妹たちの事を思った。ありのままの自分
を神様に明け渡し、素直に足りないものを
神様に求めて、また素直に御声に聴き従う
姿には、いつも新鮮な驚きを感じる。
流した涙も多かったに違いないが、一回りも
二回りも信仰の成長を遂げ、神様とさらに
密着して行かれた。光に中にいる人達だ。
姉妹たちの事を通して、また学びを通して
「今のあなたはどうですか」と神様に問わ
れたような一日だった。
「やみの中を歩む」者にならず、わからない
事や納得出来てない事をわかった顔をして
通りすぎず、素直に神様に尋ねていこう、
祈っていこうと思った。
神様との関係は逆境の中でだけ強まるので
はなく、順境に感謝して、
日々の生活の中の些細な隣人との会話の中
にも神様を感じながら語れば、舌は守られ、
僅かでも神様のエッセンスが香るかもしれ
ないように。
今を神様と密着していたいと思う。

       by富士子