2007年02月21日(水) 「変えようとしなくなったら、変わった」
以前、知り合った婦人が話してくれた。 ご主人がギャンブル依存のようで、普通では ないのめり込みようだった。 パチンコに毎日、毎日仕事が終わると通う。 家計が圧迫される額の、かなりのお金を持ち 出すので、それでは生活して行けないので、 必ず喧嘩になる。争いの日々だった。 家では、毎日喧嘩が絶えなかった。彼女は 怒りで、実家に帰る事もしょっ中で、行き つ戻りつをずっと繰り返していた。離婚も 何度も考えた。 しかし、何とか夫がギャンブルを止めてく れるように、夫を何とか変えようと一生 懸命だった。 ご主人はとうとう給料を家に入れないで丸 ごと、パチンコに使うようになった。もう 暮らして行けないし、夫が何を考えている のか、怒りで、顔を合わせると喧嘩しかな かった。 そんな頃、誘ってくれる人があって教会へ 足を運んだのだ。もう疲れ果てていて、や はり何かにすがりたかったし、支えが欲し かった。 疲れ果てた心に、聖書の言葉が吸い込まれる ように心に入り、信じたいと思った。 そして、教会へ通い、聖書の学びをして行く 内に、自分の姿が照らし出されて行った。 それまでは、夫は完全悪、自分は完全善 だった。夫が一方的に悪い。表に表れる 行動は確かに悪かった。 しかし、心の内を見た時に恐ろしい自分の 姿が見えた。夫を軽蔑し、見下し、さばき 上から見下ろしている、高慢な自分の姿。 自分が真に恐ろしいと思った。 それに引き換え、夫はギャンブルはするが、 人の悪口など全く言わない人だった。 自分は人の悪口ざんまいだった。 神様の前に自らの高慢を心から悔い改めた。 自分の夫を軽蔑し見下し、さばく、その態度 こそが、夫をますますギャンブルへと駆り立 てていた事に気づかされた。心から夫にも詫 びた。 パチンコも、もういいと思えた。したいなら、 したいだけすればいいと思えた。もう文句も 不満も言わなくなった。心が変えられたのだ。 すると、夫が変わった。夫婦間に喧嘩がいっさ い無くなった。嘘のようだった。平和が訪れた。 驚くべき事に、夫も教会へ時々来てくれるよう になった。 そして、パチンコ狂が止んだ。今では本当に ほんの趣味程度で、のめり込む事など全く無く なった。 相手を変えよう、変えようとした時は、決して 変わらず、そのままで良いと思った時に、相手 が変わった。 つまり、自分が変わった時に、相手が変わった。