2007年11月25日(日)
  「状況でなく自分」

「神様信じる前は、自我など全く気づきま
せんでした。
自己中心に歩んでいて、別に何の感覚もなく、
相手が悪い、周囲が悪い、環境が悪いと思っ
てました。自我など考えることもしなかった。

神様信じた後も、自我っていうのが、ぼんや
りしていて、認識できていなかった。
やっと最近です。ほんとに自分の自我が強く
て、強くて、頑強で、自分ほど我の強い者は
ないと思うほど。

それで、目の前に次から次へと痛い事を起こ
されて、神様は自我を砕かれたいんだなあと
わかります。

対人関係、家庭、仕事、もう様々、痛い事、
苦しい事、辛い事ばかりなんですが、自分視
点でなく、神様視点で見ると、ものすごく痛
いけれど、感謝な事なんだと思えます。

これがわからないと、あれをこうして下さい、
あれをああして下さい、もう自分の都合の良
いように、祈りますよねえ。

単に、目の前の痛い事が、無くなれば良いだ
けで。
そうじゃなくて、自分の自我を砕かれたいん
だとやっとわかりました。

厳しい対人関係があって、その場へ行く時、
身体が反応して硬直する。思っている以上の
ストレスなんだと思う。
でも、自分の自我の強さを、いかに自我が強
いかをひしひしと教えられています。」

「何かがないとわからないですよね。行き詰
まりや圧迫や自分でどうにも出来ない苦しい
事とか、どん底を経験するとか。

自分自身もどん底を経験して、何もかもがもう
自分の力でどうしようもなくて、神様に出会え
て、本当に神様がわかった。

それまでは、御言葉も聞いてはいるんですが、
スースーと通り過ぎて、何もわかっていない。

御言葉が真に語りかけて来て、心に迫るのは
苦しい時ですよね。苦しみは嫌だけれど、恵み
なんですね。苦しみが無かったら、私は絶対
神様に出会えなかった。」

「神様に出会って、自分は変えられました。
ものすごい自我が強いのに、それすらわからな
かった。今も自我は強いが、気づきが与えられ
る事が感謝でならないです。」

目の前の苦しい状況が、どうにかなれば済むん
じゃなくて、目の前の問題も神様から来ていて、
自分が変えられて行く事を望んでおられる。