2008年09月25日(木)
  「悔い改められる」

Aさん「友達が精神的に弱っていて、病気に
なってるんですよぉ。すごく苦しんでて。
でも、親が世間体を気にするんですよぉ。
それで、その事に、またものすごく傷ついてる
んですよぉ。でも親はわからない」

婦人たちで「うわ!!ズキッ!!ズキズキッ!
グサッ!と刺されるわ。気をつけにゃあいけん。」

Bさん「でも、親も自分で気づかんのんよぉ。
自分では良かれと思ってて、子供のためと
思ってるから、傷つけたり、的はずれだって
ことがわからん。

自分もずっとやってて。神様知って初めて、
過保護だったり、自分を子供に押しつけて
いたり、転ばせないように道をつけてたり、
そんなんに、気づく。
全然わからんかったよ。子供のためだと
思い込んでた。でも、実はすごい子供を
損なってて。わからんかったよねえ」

「でもBさん、それがはっきりわかった時に、
180度変わった。子供をあるがまま受け
入れ始めて、どんな状況になっても、受け入
れ続けて行った。
ご主人にも理解をお願いして。
子供が変わって行った。自分らしく生きる
事を始め、幸せを見つけて行った。
Bさんすごい!!」

Cさんが思春期の頃、親に隠れて、道をそれて、
そんな仲間と遊び、群れて、いろんな事をした。
それが発覚してしまった。その時、親はパニック
になり、自分でなく、世間体を取った。
それが深い傷となり、家を出て、更に非行へと
走った。

クリスチャンのD婦人も「子供が不登校になった
時、最初はなだめたり、すかしたり、何やかんや
懸命にする。
自分もちゃんとすべき事はしなければと、学校
に何度も足を運び、担任とも話し合いの時を持ち、
お母さん方とも、コミュニケーションが必要と、
努力し、語らいの時を持った。
一生懸命すべき事をして、何ヶ月も過ぎるが、
何も全く変わらない。
子供は変わらない。担任も変わらない。周囲も
変わらない。自分も変わらない。

その事に気づいて、挫折感におおわれ、疲れた人、
重荷を負っている人は来なさいとの招きに、主の
御前に行き、祈った時に初めて、自分のプライドに
気づいた。
人からどう見られているか、育児失敗、どういう
親として見られているか、それが自分の根底にある
事だと示された。
悔い改めて、主にすべてを明け渡して委ねた。
その時、もういいと思え、自由にされ、全く人の目が
気にならなくなった。
すると、もういいと思えたのに、不思議になぜか
子供が学校に行き出した。」

主に在ることの幸い、特権、祝福を思う。
自分でも気づかない心の奥深くを、御霊によって
示されて、真の問題点を教えられ、
悔い改めることができる。

赦されて、新たにされ、平安を頂ける。
そして、主にお任せし、委ねることができる。
何という平安と、喜び、感謝だろう。