2008年11月24日(月)
  「心がどこに」

聖書箇所:ルカ12:13〜21
題:「貪欲に警戒」

大勢の群集の中で「貪欲に気をつけなさい」と主は教えられた。
注意しなさいという意味は・・心を向けていなさいとのこと。
しかし、ここで言われているのは警戒しなさいとの言葉だ。
警戒しなさい・・とは、その対応策を備えていなさいということだ。
それ程に、貪欲とは私達の祝福をうばう大きな霊的な力である。

そのため一つのたとえ話を話された。

ある金持ちの畑が豊作であった・・12:16
豊作の与えられた人は、金持ちだった。普通より贅沢な生活をしていた。

その金持ちの畑は更に豊作になった。有り余っている家が豊作に
なったにも関わらずどうした事か、彼は、どうしようかと思い煩
った。
作物を蓄えておく場所がない。盗人が盗んでいかないような場所が
ないと思い煩ったのだ。

貪欲には限りがない。
彼は自分の将来の生活、安心して暮らせるためのプランを考えた。
12:19
そして、今持っている蔵を壊し、大きな頑丈な倉庫を建設する事業
計画を立てた。

この世のもので自分の命を支えて行こうと思うなら、莫大な富があ
ってもまだ足りないと思う。
神様を知らないこの世界は、貪欲に対して限りがない。安心がない。
この世界の持ち物が、自分の命を支えていると考えているからだ。

ある金持ちが、心臓の病気になった。
この世界で一番権威のあるドクターを呼んで彼に言った。
「私の心臓を治してくれるなら、あなたの欲しいだけのお金をあげ
ましょう」と。
しかし、この後この金持ちは亡くなってしまう。

自分の命は富によって支えられているのではない。
何年分もの物が貯まったなら、これで食べて飲むことができる!
楽しむことが出来る!と自分の魂に言う。
さあ喜んで、これで平安に生きれると。

生きる、楽しむという事の土台が物だからだと主は教えてくださる。
しかし神は、その金持ちに「愚か者」と宣言された。12:20

自分の命は神が支えて下さっている。
私達は、なぜ生きているのか、それは神が「生きよ」とおっしゃる
ので生かされている。
私達が死ぬのは、神が命を取られるからだ。

自分の富や、名誉、力、知恵が支えているのではない。
主が私たちのすべての必要を与えてくださっているのだから、
思い煩う必要はない、神の国と、神の義を第一としなさいと主は
言われる。

神様は、私達人間に虚しい生活ではない、神の国を与えて下さって
いる。だから自分の命また自分自身を神様に委ね、神と共に生きる
天の御国を求める生き方をしなさい、それを実践するなら、心の
平安が来る。

私達の大切なものを天に蓄えなさい。
私達の宝のあるところにあなたの心もあるからです。と主は言われる。

この世界の事を追い求めこの世界と同じように生きて行くなら、
この世界の事だけで生きて行くだけだ。
しかし、私達は、イエス様の救いによって、天に宝を積むことが出来
るようになり、神の御心を行うことのできる生活が実現しているのだ。

だから、天に目を向けよとイエス様は言われる。そうする事によって
貪欲から守られる。

イエス・キリストは、もうすぐ私達を迎えるためにこの世界に来られる。12:35・36
イエス様がこの世に来る時、私達には報いがある。主人が帰る時を
いつも明かりを灯して待っている僕を主人は、「善かつ忠なる僕」
・・と喜んでくださる。だから、神の国と神の義を求める人になって
欲しい。

この世の貪欲に勝利するために、あなたの人生の喜びを得る大きな
プロジェクトとして天に宝を蓄える事に目を向けて欲しい。
いつ主が帰って来られても御前に立つ事の出来る自分であるように、
いつも歩んでいなければならない。
それによって貪欲に対して勝利ができる。

愚かな者になる可能性が、私達にもある。しかし勝利を得る者で
ある。天の国、天に宝、主の再臨を見つめて歩む者でありたい。
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遠方の方や、礼拝に来れない方々のために、Aさんが礼拝メッ
セージをまとめてくれている。

Aさん「神様知っていながらも、この世で、時も、労も、財
も(ちょっとしかないけど)無駄に使っています。悔い改めん
といけんわ・・。」
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目に見える世界と、目に見えないもう一つの現実の世界が
あって、それは、神の国。今、現実に、神の支配の中にいて、
その目に見えない確かなもう一つの現実を、しっかり見て
生きて行けるように。