2009年05月22日(金)
  「NOTHING」

Aさんが「聖書の学びをしている中で、
自分が変わって来ていることを感じます。

育児一つにも、自分の対応が悪かった
のでは、もっとああしていれば、こうして
いれば、もしあの時、ああでなければ・・
こうなっていなかったのでは・・

ずっと自分を責める思いにさいなまれて、
自分を責め続けて来ました。

でも、聖書を知るようになって、そうじゃない
んだと、はっと、気づけたんです。

自分を責めるが、その自分は一体何様なのかと。
全然立派でなく、間違うし、失敗するし、不完全。

自分を責めるということは、自分が立派な者、
立派に完璧にできるはず、という前提があって、
それが出来ないから、責めるわけで、できて
当り前と思っている。それは恐ろしい傲慢では
ないかと。

出来るはず無いですよね。出来て当然でなくて、
出来なくて当り前、そう思った時、ガラガラと肩の
荷が落ち、心がものすごく軽くなったんです。

心が楽になって、そして、自分を責めなく
なりました。

自分は無力で、何ものでもない、間違う者
であり、失敗する者であり、自分自身の内に
は何もない。

それを認めた時、解放されました。

ずっと、ああ思ってはいけない、こう思っては
いけない、こうでなければならない、ああで
なければならない・・

自分で、自分を物凄く窮屈にして、縛りつけ
ていました。

ふっと、ああ、そう思う、それが自分なんだと
認める事が出来るようになったんです。

以前はそんな自分を認める事ができ
なかったから、苦しかったんだと。

自分が赦されている、それが、ただただ感謝で
感謝でならないです。」


落ち込むのは、自分が出来る、出来て当然と
思っているから。だから、落ち込む。

自分は nothing なのに something
だと思っている。

いつも、どうにもならなくなった、どん底に
イエス様がおられ、どん底で必ず会える。

nothing の者を愛して下さっている、大きな
大きな深い愛に包まれる(^^)/
無条件の、一方的な、与えて下さるばかりの
愛を膚で知る。