2009年11月24日(火)
  「気づき」

Aさん「みこころ求めて、御言葉から聞いて
行ってるのに、全然与えられないし、語られ
ないんですよぉ。
ずうっと聖書読んでるのに、何も入って来ない。

今日学びしていて、わけがわかった。
御心示して下さいと言いつつ、嫌ならしない
し、それが自分の好みと合ってたらしようと
思ってる。
嫌いな事だったらするつもりは無い。
自分に都合の良い御言葉だけ聞いて、
都合の悪い御言葉は聞く気がない。

だから、わからないわけですよねえ。
こんな自分で、明け渡す事も出来ない
から、助けて下さいと祈ります」

Bさん「過去の事が、現在につながっている
ので、どうしても、過去に戻ってしまい、
あの時こうだったから、今こうなっている。

あの時ああでなかったら、今こうなっていない
のに。そこで堂々巡りし、関わった人を責めて
しまう。

でも、そこで責めると、自分に全然平安が無く
自分が苦しくなり、辛くなり、恨みつらみが出
るばかりで、満暗闇に落ち込んで行く。

これが肉とサタンだと気づきました。そこへ
帰ってはならないと。何の良い事もなく、何
の実もない。

神様見上げて平安に喜んで賛美して過ごし
ている時に、来るから、ほんとサタンですね。

もう元には戻らないのであり、益にして下さる
神様を見上げ続けて行きます。神様見上げて
いると、本当に平安なんです。」

Cさん「今日の学び通して、自分がずっと
言い訳していることに気づきました。
自分の非を決して認めない。認めたくない
んですね。
私がちょっと物を失ってしまったんですが、
私の不注意でごめんね、が絶対言えない(笑)

どこかにあると思うんだけど、と言葉を濁し、
子供がいてややこしかったから、と言い訳
する。

相手がここにあったんだがなあ・・と言うと、
それならちゃんと管理しておいてよ、と何と
心の中で相手を責めている自分。

もうとうとう仕方なく、自分の不注意で悪か
ったと言うと、相手は、いやいや子供がいて
大変だからと言ってくれ、これからは置き場所
決めようと言ってくれた。

ほんとに、強い自我があって、ごめんなさい
が言えない自分を知らされた。」

信仰人生、御霊の気づきがただただ感謝だ。
気づけることが恵みで感謝。
だから、悔い改め、成長して行ける。