2004年03月10日(水)
  叱責を侮る

“訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。
叱責を聞き入れる者は思慮を得る”箴言15:32

A君の証しを通して、神様からの痛い取り扱いを、しっか
り受け取って、神様が何を教えようとされているかを、よ
く考え、神様から学んでいる事を知り、大きく恵まれる。

“あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの
叱責を受け入れなかった”1:23

“わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮
ったからである”1;30

A君の証しに触れた時、突然、自分に神様からの光が来た。
ある出来事に対して、全く、叱責を受け入れていない。
理屈ではそうなんだろう、悪いんだろうとわかるが、心で
は思っていない。
しかし、それはまさに<神様からの>叱責だと、突然見え
た。そして、同時に叱責を侮っている自分の姿が。

“わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたに
わたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせ
よう”1:23

神様からの叱責と心から受け入れた時、心の奥底に真の平
安と安堵が来て、その事が表面上でなく、心底自分の中で
解決した。

Bちゃんが「私、毎日の生活の中で、すぐ<だってねえ>
と言うらしいんです。自分では無意識なんですが、妹に指
摘されて、『お姉ちゃんはすぐ<だってねえ><だってね
え>と言う』と。そう言えば、すぐ口から出て来る。

必ず言い訳し、弁解してる。素直に、自分の失敗やミスを
認められないで、自分を正当化しようとする、頑固で強情
な自分に気づかされた。自我ですよねえ」

放っておかれたら、どこまでも自分を正当化して行く自我。
聖霊様が気づかせて下さることが感謝。

十字架を見ても、尚且つ平然としている、自分の古い性質、
自我。自我が砕かれて行くことが救いで、感謝。

“命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のため
の叱責はいのちの道であるからだ”6:23

by 多恵子