2006年01月03日(火)
  「良い方はひとり」

「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。
良い方はひとりだけです」マタイ19:17

良い方はひとりだけ、天の御父が<良い方>であ
ることが平安の基だ。

試練の時、何かが起こった時、それが不都合で、
マイナスの事態であった時、<良い方>であり、
良い事しかされないと信じられる事が感謝な事だ。

父が階段で転んで、頭を強く打った。そのため、記憶
がストップしたり、おぼろげになったり、脳に何かの
異変があったよう。

それまで、元気に過ごしていて、その時、フッと来るの
が「あの時、転びさえしなければ」との思いだ。
「あの瞬間さえ無ければ」、しかし、これは違う。聖書
的思いではない。そうではなく、すべての事が神から
発し、神によって成り、神に至る。

神の御手の中で起き、この事を益として下さる。この
事があって良かったと必ずなると、信じた。
頭の精密検査をした結果、脳に腫瘍が見つかり、
数年前に切除した癌の転移だとわかった。

余命数ヶ月とも半年とも、これはこちらの側の備えの
ためであった。どうしても救われて欲しい。集中的祈り
が始まり、教会にも、対外の友人達にも、皆に祈って
もらった。
祈りが答えられ、父は救われた。本人にも周囲にも
はっきりわかる決心であり、明確な救いだった。

あの時、転んでいなければ、痛みも全く無かったので
脳の転移も気づかず、ある日突然亡くなっていたかも
知れない。転んで本当に良かった。父にも私達にも死
への備えが出来た。

母も同じだった。父の召天後、気力が失せ、食欲
無く、外出もせず、ずっと家にいた。台風の時に、ベラ
ンダの物を片づけた時に、疲れたのか足が腫れた。
その腫れは引かず、「あの時、台風が無ければ」と
の思いだった。
余りに腫れるので、病院へ連れて行こうとするが、
歩けず、救急車を呼んだ。すると、すぐにこれは心不全
と。極度の貧血から来ていて、入院治療。治療終了で
退院時に、身体全体の検査をした時に、胃癌が発覚。
余命いくばくと。もう晴天のへきれきでびっくりだった。

しかし、こちら側に備えが出来、祈りが積みに積まれ、
福音を語り続け、母も救われた。台風が来た事が感謝
で、足が腫れ、やむなく病院へ。その結果癌が判明。

「どうして、こんな事が?」が、実は素晴らしいみわざ
が成就して行く伏線だ。
今年も、良いお方が良い事しかされない事を、しっかり
受け取って行けますように。
by 多恵子