2006年11月01日(水)
「よくなりたいか」
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今日のみことば「よくなりたいか」ヨハネ5:6
で、一人の姉妹Aさんを思い出した。
ある夜中の1時頃に電話のベルが鳴った。
イエス様を信じてからも、信仰生活で自分の弱さを、
ずっと抱えて来たが、いつもいつも繰り返し、どう
しても、苦しくて、辛くて、情けなくて、もうどう
にもならないと。
その時は、鬱積が吐き出たのか、わーわー、号泣だ
った。
Aさんが、わーわー泣きながら喋るのを、ずっと聞
いていて、主の「よくなりたいか」との御言葉が大
きく浮かんで来た。
「よくなりたいか」と御声をかけて下さるのは、何と
いう恵みだろう。出来るか、よくなれるか、と言われ
ない。よくなることを願うかと、問われている。
Aさんは「よくなりたい」と願った。今まで何度も
失敗した。同じ失敗を繰り返し、これからも同じだ
ろうと諦めそうになるが、でも「よくなりたい」と
はっきりした意志をイエス様に向けて祈った。電話
口でも一緒に祈った。
しばらくして、手紙が来た。あの後も弱さはあるが、
根底が完全に変えられたのがわかると。根元が癒さ
れたと。あの時から、心の底に大きな河のような平
安が流れていると。表面が波立ったりするが、底に
確かな平安がある。癒されたのがわかると。
Bさんは、いつも何かあると、自己憐憫の殻に閉じ
こもってしまう弱さがあった。そこが居心地が良く
て、人をシャットアウトしていれば良くて楽なのだ
と。しかし、自分は可哀想と、どんどん落ち込んで
行く。
イエス様を信じ救われた時に、その事がわかった。
「よくなりたい」と願った。自己憐憫の誘惑が来た
時に、そっちには行かない事。拒否する事をした。
数々の自らの弱さに落ち込むのでなく、弱さに気づ
けた事に感謝して、主に拠り頼んで行った。
すると、「弱さの中に恵みは十分」である事を知ら
されて行った。
どんな瀬戸際であれ、どんな状態であれ「よくなり
たいか」と問うて下さっている。
by多恵子
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