2006年12月04日(月)
  「クリスマス・ストーリィ」

クリスマスが近づいて、準備とかもあって、
クリスマスストーリィを御言葉から読んで
いた。

東方の博士達が星に導かれて、エルサレム
までやって来て、へロデに、ユダヤ人の王
として生まれたキリストについて尋ねた。

へロデは恐れた。苦労して手に入れた王の
地位が危うくなる。自分さえ良ければ周囲
はどうなっても構わない。自分を守るため
に、近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず
殺させた。

神は、罪について見せておられる。へロデの
ような権力が無いから良かったものの、自分、
自分の、自我を押し進めて行くと、周囲を蹴
散らして害毒を流して行く。神の栄光を損な
って行く。

へロデが恐れ惑うのはわかるが「エルサレル
中の人も王と同様であった」。何でエルサレ
ム中の人が恐れ惑うのか。へロデ王がいかに
陰湿陰険かを知っているので、不穏な事にな
る、そして戦いが起こるのを恐れたのか。

エルサレムの人々にも求められていかった。
へロデが自己中心、自分が心の王座にも座り、
自分が神となっていたが、結局エルサレルの
人々も自分を神としていたいがために、本当
の神が来られては困る。

人間の心はアダムの罪以来、そのようで、自
分自身もそうなんだと教えられる。本当に救
いは奇跡だ。
「あなたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたを選び」ヨハネ15:16
神の憐れみに、ただただ感謝。

東方の博士達が、遠方から数ヶ月の時間と莫大
な費用をかけて、道中、命の危険をも覚悟して、
幼子にたった一度の面会のために、すべてをか
けて、犠牲を払ってやって来た。

「礼拝」するためであった。何の見返りも求め
ず、財産投げ打って、命をもかけて、礼拝する
ためにやって来た。何の打算もなく、ただ礼拝
を献げるためであった。

自分の何かのためでなく、礼拝を目的として、
献げた。神を礼拝するために、生きていること
自分が満たされるための礼拝でなく、神を礼拝
すること、それ自体が目的であることを教え
られる。

by多恵子