2007年06月05日(火)
  「どこにおいても主を認めよ」

Aさんが話してくれた。
「日常生活の中で、ほんとに神様が働いておられる事
を知れて、感じて、心恵まれています。

いつも、待ち合わせ時間に遅刻する人がいて、何で
遅刻するのかわからん、もう信じれん感じで、心でさ
ばき、つい嫌味を言っていた。

すると、自分がバイトに遅刻して、もう重大責任で、
ほんと砕かれた。
その時、大変な失態で、叱られると恐れが来たが、
祈りながら向かうと神様が「恐れるな」と励まして
下さった。
ドキドキしながら、不安と共に到着すると、「誰でも
寝坊する事あるから大丈夫」と優しく受け入れられて、
全く叱られず、安堵と安心で、涙が出てしまった。
自分のせいで、大幅に損害が出たのに、責められ
もせず、この時、神様の愛を膚に感じた。

神様の愛が、なかなかわからなくていたが、この時
初めて愛がわかった。ひしひしと感じた。神様に
抱かれている感覚だった。

祈る事を学び、祈りを実践して行く中での事で、
何より祈りが聞かれている事が大きな恵みだ。

対人関係で、何だか厳しく当たられて、辛い思い
にあったが、祈っていた時、ひょっと優しい言葉を
かけられて、その人の良さを感じた。見方が変わった。
祈りの答えに嬉しくなった。

友人関係もぎくしゃくする事があるが、祈っていると
自分の傲慢、虚栄心、プライドに問題があり、相手
でなく、自分のそのところが問題だと示された。

祈っていると、日常生活で様々なことを教えられる。
祈りが答えられることが、何より感謝で嬉しい。」

“あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
箴言3:6

一日の中の、一つ一つの起こる出来事や、対人
関係の中に、主を認めるなら、神様を知れる。

そうすると、日常が生き生きとして、神様に至る
所で触れる。喜びが来る。