2007年09月03日(月)
  「物差し」

Aさん「教会へ来始めてから、少し経て、段々聖書の御
言葉を知り始めると、自分は真理を知っていると高ぶり、
知らない人々を見下している自分に気づくんですよお」

Bさん「そうそう。すごい真理を知ってるから、御言葉は
正しいから、以前見えなかった様々なことが見えて来る。
それを持って、人をさばくんよね。真理は両刃の剣で、人
に向けると恐ろしい。とんでもない事になる。

Cさん「恐ろしい霊的高慢に陥る。それなら知らなかった
ら、さばかないわけですもんねえ。」

Aさん「そうなんですよ。真理、正しいことを知ってるから、
その物差しを人に向けて、あれも出来ないじゃん、これも
出来てないじゃんと。自分は棚上げで、出来てないんですよ。
だのに、人をさばきまくる。わけわかららん(笑)」

高慢の手が、御言葉を持つと恐いですよねえ。それで、バッ
サバッサ、人を突き刺し、斬りまくる。見下すは、蔑むわ。
愛なんぞ、どこの世界の話か。愛なんて全くない。
ほんとに一つ間違うと、正反対の方向へ行ってしまう。

それなら、人を見下し、さばき、自分を誇り、自分が優越感
に浸るための御言葉じゃ。
それが、パリサイ人で、自分がまさにそれですよねえ。」

「気づいてるからすごい。パリサイ人は気づいてなかった。
自分は正しいと信じきってた。行動は正しいんだけど、その
源は自分の力、肉だし、動機が自分を誇るためだし」

「神よ。私はほかの人のように○○ではないことを感謝します」
あんな罪人ではないことを感謝します。

「神様から罪を示されたら、人の罪なんぞ見えなくなる。
人どこじゃない、人の罪なんぞどこでない。自分の罪が
ただただ測り知れず大きくて、悔いくずおれる。
あの取税人のように、神様と自分だけしかなくなる。」

「人の罪が見えるのは、自分の罪が見えて無くて、自分が
見えてないんだよね」

一番恐ろしい霊的高慢から守られるように。