2008年01月05日(土)
  「御言葉に力がある」

神の国、御言葉の価値観と、この世の価値観が
相反し、天と地ほどに違う。

クリスチャンは、新しい性質と古い性質を宿して
いて、新しい性質は、御言葉の価値観に従おうと
し、古い性質は、この世の価値観に引かれて行っ
てしまう。
どちらもの大きな影響を受けてしまう。

Aさん:この世界は、自我の欲望が渦巻いている。
自分、自分で、損は絶対にしたくない。より多く
得たい。欲望があるので、損得勘定で動く。

その欲望が互いに対立すると、もうドロドロの
争いになる。どちらもが自己を主張するから、
争いしかない。泥沼だ。
それも、どちらもが自分は正しいと思っている
ので、ぶつかり合うばかりだ。

ほんとに神様を知っていて、良かった、感謝しか
ないとつくづくと心底思った。

損得でなくて、神様の御心を思い、御心を求める
ことができた。そうできた自分が奇跡だと思った。
損得で動いて、自分は全然幸せじゃない。
虚しいばかりだ。

自分は祈ることができて、神様の御心のままで
いいですと、心から言うことができて、神様に
自分を委ねることができた。
心は平安だった。

祈って、祈って、皆の意見とは異なる、御言葉に
立った自分の気持ちを、皆に伝えた。

皆とは違う意見に、疎外されるかも知れないと思っ
たが、祈って言った時に、そうではなく、
「あなたはそういう気持ちなんじゃね」と逆に受け
入れられた。神様を感じた。

そして、周囲が「あなただけは違う」と言った。
「あなただけは、人の気持ちを考えてる」と言っ
てくれた。

自分にも欲はあるし、損得勘定に影響されそうに
なる。
でも、そこに御言葉が臨むと、そうじゃないと我
に返れて、御言葉によって、御心の方へ変えられる。
御言葉の力を経験した。

御言葉の価値観にとどまり、御言葉に従う時、
周囲に証しになって行くことを教えられた。

心にある価値観が、この世の影響を受けて、揺れ動く時、
我に返らせてくれるのが御言葉だ。
御言葉が心にある時、信仰が湧いて来る。神様に従おう
と思える。
やっぱり、日々、御言葉に接していること、御言葉から
離れないこと、御言葉に聞いて行くことが、どんなに大
切かを思い知らされた。