2008年05月03日(土) 「遠方からの良い消息」
遠方のAさんからお便りが届いた。 いつも幸いなお交わりをさせて頂いていたが、 途中で引っ越された。 もうご高齢だが、ずっと忠実に主に従っておられる。 私は年寄りなので、祈りのご奉仕をさせて頂きたい と、いつも祈って下さっていた。 私たちの教会だけでなく、ファローで宣教報告に 来られる先生方、お一人お一人のためにも続けて 祈って下さっていた。 「年寄りですからね。まあ、朝は早く目覚めるんです よ。一人で早天祈祷会をするんです。主との交わり に、それはそれは恵まれて、朝から感謝が溢れる んですよ。 独り身ですでしょ。だから、もう時間も自由で、主に 自由にお仕えできて、感謝でならないんですよ」と ニッコリと微笑んで話される。 いつも交わるAさんから、一度も不平不満、愚痴を 聞いた事がない。 世に疲れて愚痴で一杯で集会にやって来る方には、 いつも柔和に神様を指し示し、見上げるように 助けておられた。 「彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には 恵みの教えがある」箴言31:26 の通りだ。 以前に証しをして下さった。 「砕きに砕かれました。若い頃は、もう高慢な高慢な 鼻持ちならない人間だったんですよ。 様々な事を通して、主は砕いて下さいました。 へりくだらされました。感謝です。 この歳になって、パズルがつながるように、今までの 人生の様々な事が繋がるんですよ。 その時には、何でこんな事が!と、わけのわからなか った事が、今はわかります。 あの事、この事の意味が明らかにされて、すべての 事が益とされて、ご計画の内だったと感謝ばかりです。」 わきまえがあられ、柔和で、物静かだが、語るべき時 には語られ、イエス様の香を漂わせておられた。 御高齢の方々の集いに、とても心が安らぎ癒されますと、 若い婦人が来て下さっていた。 歳をとった時、こういう信仰者でありたいな、との 目標だ。 「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水の ようだ」箴言25:25 遠方からの主を喜ぶお便りに、心潤される。