2008年11月05日(水)
  「心に深い安堵」

病院に求道中のAさんをお見舞いした。
丁度、クリスチャンのBさんもお見舞いに
来られ、一緒にずっと神様の話をした。

Aさんが「死」が恐いですと、話して下さった。
抑え切れない不安に襲われると。

夫が人間には肉体と霊があり、肉体は皆
いつしか朽ちる。ちりに帰る。
だが霊の部分があるから、永遠を意識する。
霊の部分が痛んでいるから、永遠や死に対
する恐れや不安がある。

神を認めないことが、人間の罪であり、そこから
心の痛み、不安、恐れ、孤独が生じる。
神に向き合い、自らの罪を認め、悔い改めること
が必要で、その時、罪が赦されるので、心に平安
安堵が満ちる。

自らの罪を悔い改めて、身代わりに十字架で
死んで下さったイエス様を信じることが大切と。
Aさんは、じいっと耳を傾けて、真剣に聞いて
下さった。

その時、イエス様を信じた時に、死が全然恐く
なくなった事をお話した。それまで、死は恐怖
だった。
死というと、誰一人、人のいない宇宙の真っ暗闇
の中に、ただ一人、自分だけが存在するという
連想になって行く・・。
身体は死んで、焼かれて無くなるが、自分を意識
する意識は永遠に無くならず(無くなれば問題
ないが)永遠に暗黒の中にただ一人・・、

答えはなく、考えない事にするしか無かった。

そんな時、福音を聞き、自分の罪がわかり、
悔い改め、イエス様を救い主として信じた。

死の恐怖のために、イエス様を信じたのでは
なかったが、主を受け入れて、しばらくして
気づくと、その死の恐怖が完全に失せていた。
消えていた。

え?何で?どうなった?何が起きたんだろう?
こんな事ってある?と驚いたが。まさに、福音
であり、救いであった。

「これは、その死によって、悪魔という、死の
力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖に
つながれて奴隷となっていた人々を解放
してくださるためでした」ヘブル2:14

「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは
いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていました
が、今は、自分のたましいの牧者であり監督
者である方のもとへ帰ったのです」
Tペテロ2:25

本当に死の恐怖から解放され、自分のたましい
の牧者である方のふところへ帰ったのだと
実感した。

目には全然見えないが、すごい事が起きて
いて、すごい救いだと思った。自分で何一つ
したわけでない。

Bさんに「死、恐くないですよね」と言うと、
「はい、全然恐くないです。天国へ行きたい
です。こんな者が罪赦されて、天国へ
行けるなど、本当に感謝でいっぱいです」

Bさんと一緒に、死の恐怖から解放されて
天国は楽しみでならない、と語り合うと、
Aさんは、じっと聞いて下さった。

目には見えないが、自分の身に聖書の
言葉が成就して行く。聖書が本当に真実
で、まさにその通りになって行くことに
畏れを感じる。

まことに神がおられる。