2009年11月02日(月)
  「鏡」

創世記のロトの箇所を学んだ、恵みを語り合って
いると、

Aさん「最初、聖書読んだ時、ロトの奥さん、うしろを
振り返ってはいけないと言われていたのに、後ろを振り
返って、塩の柱になって、
何しとるんじゃ、まあ何とバカな、愚かなと思ったけど、
今日、これって、自分じゃと思いました」

出エジプトの箇所を学んでいた時には、

Bさん「このイスラエル、紅海を渡る偉大な奇跡を
見て、荒野に入った途端、水がない、食べ物がない
不平不満と愚痴ばっかし。

果ては何でエジプトから導き出した、エジプトに
帰ると言い出すし、まあこの人々は何、何という
人達だ、と眉をしかめていた。
が、これは、自分のことだとわかった」

皆で、「うん、そうそう、これ自分、自分」

Cさん「時々、子供を叱りつけ、怒鳴りつけたり、きつい
言葉を発している人を見ると、まあ、そんな感情をむき
出しにせんと、もっと子供をよく見て、見守って上げ
ないと。
まあ、私ならそんな事しないわ、と思ってるんですよ。

で、そう思った時、何か御霊様の感覚があって、心に
違和感あって、何か言っておられると、よくよく心を探っ
てみると、その子供を怒鳴りつけている人の姿は、
本音の自分じゃと。」

一応御言葉を知ってて、育児の学びもして貰って、ノウ
ハウも知ってるものだから、パリサイ人ですよねえ。
あの人のようでないことを感謝します、と言っている自分。
でも、御霊様の照らしがあると、まさに本当の自分そのもの。


鏡が無いと、自分で自分の姿は見えないように、
御言葉は鏡であり、自分の本音の姿が照らし出される。

そして、時々、人を目の前に置いて、良きも悪きも、本音
の自分の姿を見せられる。

これこれ、こういう恵みを与えて下さっていて、神様に感謝
でならない、と聞く時、

あ!全く同じ恵みが、自分にも与えられている事に、気づか
される。気づいていなかった恵みに気づける喜び!

周囲って鏡だ。