2004年03月07日(日)
  理不尽の十字架

イエス様の十字架の学びをしていた。
イエス様は一つの罪も犯されなかったのに、極悪人が
かかる十字架にかかられた。

それって、道理に合わない。犯罪人の処刑のためにあ
る十字架に、なぜ犯罪人でない、正しい人がかかるのか。

そのように、日常生活で道理を追求して行くと、大きな
間違いに陥ってしまう。みこころをそれてしまう。常に
自分は正しいに立ってしまう。正しいか、正しくないか
に立った途端、見えなくなってしまい、道に迷う。
十字架は理不尽、不条理そのものであるから。

理不尽と不条理を受け止めて行くことが、十字架を負う
事であり、それがイエス様から与えられた歩みである事
を日々の生活で学ばされる。

Aちゃん「それ、ちょうど先週あったんですよぉ。お父
さんも私も、それぞれ自分のすべき事に、すごく忙しく
していた。その多忙の最中に、突然お父さんに用を頼ま
れた。

えー?もう信じれん状態で、お父さんに言った。『お父
さん!ちょっとよう考えてみてや。これは理不尽じゃ。
お父さんは忙しい。でも、私も遊んでるんじゃない。私
も物凄く忙しい。それを、何で、私がお父さんの用をせ
んならんか?自分の事なんじゃけ、自分でしてよ』」

「え!お父さんにそんな事言うの?」ビックリで、でも、
自由な雰囲気で育っててもらって、いいお父さんで、い
い家庭なんだなあ。

「それが、先週のメッセージで“互いに仕え合う”中で、
“親に従いなさい”と語られて、示されてて、ああ、い
けないなあと。自分に余裕のある時は、心に潤いがあっ
て、すごくいい調子なんだけど、自分に余裕が無くなる
と、自己中心がもろに出て来てしまって」(笑)

「ほんとにそうですね。十字架って、そうですよね。そ
の通りです。わかります。今度父に言われたら、用をし
てあげて、その上に、まだ他にない?と言います」(笑)

「でもね、親に従おうと思って、『お父さん、何かする
事ない?』と言ったんですよぉ。すると、お父さん、す
ごく嬉しそうな顔になって、『雪が降るぞ』と言ったん
です」
「雨を通り越して、雪なんじゃ」(大笑)

週末、ほんとに雪が降ったー!!! まあ、えらい寒くて
から。
Bちゃん「皆が、十字架を負おうとしてるから、それで、
雪が降ったんじゃー!!!」(もう大爆笑)

理不尽の十字架を負う時、その十字架のもとは、味わっ
た事のない祝福の泉。苦みが甘みに変えられる。

by 多恵子