2006年06月04日(日)
  「光」

先週、灯りの無い、真っ暗な夜道で、段差に気づかず、
転んでしまった。擦り傷と打ち傷で、痛い、痛い。

その夜は「出かける?いる?どっちでも、好きなようにした
らいいよ」と言われて、出かける方を選んだのだ。

一瞬、サタンの思いが来る。「外出せずに、とどまってれば
良かったんよ」「そうすれば、けがする事も無かったのに」

そうじゃない!と御霊の思いが来る。「すべての事について
感謝しなさい」、すべての事に神の支配があり、これも感謝、
「感謝」を選ぼうと思えた。

ある人が、とにかく不意の事態、不都合な、マイナスの事態
が起きた時、まず「いいんだ」と思えと。

「いいんだ」と思えて、そして、これが最善、ベストと、思っ
た時、心に平安が満ちた。痛いけれど、これはベスト、すると
すっかり平安になってしまったから、不思議。

光って、すごい。光の全く無い、暗闇は目の前が見えない。
ほんとに転ぶんだ。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」
詩篇119:105

ほんとに光が無ければ、歩けない。みことばは光だ。みことば
が無ければ、進むことが出来ない。進む道がわからない。

みことばが無ければ、神がわからず、自分の本当の姿がわから
ない。みことばに照らし出されて、初めて自分の姿を知る。
歪みや錯覚や、偽りがわかる。

暗闇にいると、すべて順調で、何の問題もない。万事OKだ。
しかし、光線が当たると、暗闇で見えなかったほこりがはっきり
見えるように、光によって心の中の間違い、罪が見える。

「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかも
やみの中を歩んでいるなら」Tヨハネ1:6

信仰生活、何の問題も無いと思いながら、闇の中を歩んで
いることがある。
照らし出されること、気づけることが、もう愕然!えっー!で
あるが、ただただあわれみ、感謝。

「すべての人を照らす・・まことの光」ヨハネ1:9

by 多恵子