2007年01月08日(月)
  「見たことも聞いたこともない神の愛」

様々な事件が起こっていて、本人の罪であり、
本人の責任であるが、色々考えさせられる。
親の押しつけが、子供を損なって行く。

若者が意見を言っている。
「自分も親を殺したいと思った事がある。
実際に殺そうとした瞬間もある。親のため
などでは全くなく、自分の将来のために思い
とどまった」

「親の家業を継がなくてはならない。自分は
全然したくない。嫌だ。でも仕方がない」

「家が病院。だから親を継いで医者にならな
ければならない。なりたくない。向いてもい
ない。しかし、医者にならなければ、親に愛
してもらえないと思った」

“医者にならなければ、親に愛してもらえな
いと思った”

これって、
“教会へ行かなければ、親に愛してもらえな
い。神様を信じなければ、親に愛してもらえ
ない”とおんなじだ。

クリスチャンの親が陥って、全く気づかない、
大きな間違いだ。
前回のAさんが、これに気づいた。そして、
変えられた。

Bさん「私は、それをして来て、子供を損なっ
て来ました。自分自身が神様の無条件の愛が
わからない。神様の無条件の愛を子供と一緒に
教えられたいです。
神様がすべての事を益として下さることを、信
じて感謝して行きます。」

クリスチャン二世「私は気が強いから、もう嫌
なものは嫌で、思春期の頃、教会へ行かなかった。
すると、クリスチャンの親から迫害を受けた」(大笑)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり」
と言われる神様、ほんとに、人間の思いと神様
の思いって、違う。

帰って来た放蕩息子を、無条件の愛で、喜び
受け入れる神様。人間はだいたい兄息子だ。
「そんな甘いことでどうする」「甘やかすから
悪くなる」「家に入る前に、ひとことあるだろ」

この世にはない、「見たことも聞いたことも、
心に思い浮かんだこともないもの」これが神の愛。