2007年06月03日(日)
  「良くしてくださったこと」

突然遠方の友から電話が入った。
数年振りに声が聞けて、互いに喜んだ。
40数年前?! 救われた頃、共に信仰生活をした友で、
電話を切った後も、いろんな思い出が駆け巡った。

宣教師の先生が次の示された地へ宣教に出られ、途中
で教会が無牧になってしまった。

当時は7名ほどだったので、皆で話し合い、婦人方はご
主人が未信者で遠くへは無理なので、近くの教会へ行く
事にして、若い人々は電車ででも、それぞれ導かれた教
会へ行く事に決まった。
集会所も丁度、借りていた家が改装のため、出なければ
ならず、集まる場所も無くなってしまったからだった。

ところが、ところが、どうしても別れる事ができず(^^;)
自然に教会の近くの一人の婦人の家に足が向き自然集合。
別れられず、祈っていると、家を持ち回りで、家庭集会の
形で聖日礼拝はどうかとの案。

なぜか不思議に道が開かれ、婦人方もご主人不在の時
は家を使って0Kと、未信者のご主人方が許可して下さっ
て子供達は親御さんが、なぜか不思議に了解して下さって、
持ち回りの家庭集会ができてしまった。
不思議でならないが、道が開かれる時は、開かれるんだ。

そうこうしていると、倉庫になっている市場の小さな集会所
が借りれるとの情報が入り、そこで集会を始めた。ほんとに
不思議に道が開かれて行く。
そこで、特伝をしようとチラシを印刷し、配布。知り合いの
先生に講師に来てもらい、その特伝にはチラシを見て、何人
もの新来者が来て、びっくり!!!
後から思えば、ほんとに神のみわざで、いっさい人間の力で
なく、まさに神が働かれたことがよくわかる。

その友と一緒に教会学校を続けた。
そして、最も印象深く残っているのが、教会にまで来れない
子供達のためにと、毎週土曜に、徒歩でかなりの時間かか
る所へ行き、その公園で、子供達のために集会をした。
遊んでいる子供達を集めて、賛美し、聖書のお話をする。
毎週続けた。

特に、寒い冬にもう陽が落ちて、暗くなった中を徒歩で
(昔は車など無く)楽しく交わりながら帰る。
心に祝福と恵みの灯が赤々とともされ、神様に心暖めら
れて、満たされて、友と交わりながら戻った、その日々
が忘れられない。

必ず子供がお話を聞いてくれ、毎週そこに集ってくれ
る子達もいた。主のために働けた、本当に心満たされ
た幸いな思い出だ。

若い時に救われて、主と共に歩んで来れたことに、心底
感謝で一杯だ。
本当に良くして下さった神様に、もう感謝で感謝で心が
満ち溢れた。

突然の電話は、まさに神様が、恵みと祝福と喜びと感謝
を思い起こさせて下さるためであった。感謝。

“主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

あなたの一生を良いもので満たされる”詩篇103